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三国志47 徐母の死の巻 

曹操の元へ着いた徐庶は早速母親に会わせて欲しいと願い出ます。
ところがせっかくやってきた徐庶の顔を見た母親は、偽手紙に騙されて明君を捨てて暗君につくとは家名を汚したといって徐庶を激しくなじると奥に引っ込んでしまうのです。
しばらくすると奥から叫び声が聞こえました。
徐庶が入っていくと母親が首をつって自殺していたのです。
徐庶は嘆き悲しみ、それからしばらく母の墓のそばに小屋を建て喪に服して暮らしていましたが曹操からの供養の品は一切受け取らなかったといいます。

徐庶の母の死を予想していた人物がいました。
水鏡先生です。
劉備を訪れ、話を聞くと徐庶の母親はそんな手紙を書くような人物ではない、徐庶が騙されて曹操の元に行ったら怒りのあまり自害してしまうに違いない・・・と言ったので劉備達は初めてそこで事の次第に気付くのです。

劉備は徐庶が教えていった諸葛亮という人物について水鏡先生に聞きました。
すると水鏡先生は諸葛亮は周朝を興した姜子牙(太公望)か、漢朝の基礎を開いた張子房(張良)にも優るとも劣らない人物であるといいます。
それを聞いた劉備はますます諸葛亮なる人物が気になります。

ある日劉備は諸葛亮を訪ねるべく、隆中に向かいました。
すると農民が歌を歌っています。
その歌が気になった劉備はその歌を作ったのは誰かと聞くと農民は臥龍先生だと答えるのです。
臥龍先生とは伏竜のことにちがいありません。
臥龍先生の住居を聞くと、林の中の臥龍岡(がりょうこう)だと言われ、とうとう劉備は臥龍岡を訪ねるのです。

その頃、北中国を制圧した曹操は南征の為に玄武池という人口の湖を造り、軍船を浮かべて水軍の訓練を開始していました。
中国の南側は長江が流れており、水軍戦になるであろうことを考えてのことでした。

諸葛亮ははやくに母を亡くし、父親は再婚しています。
兄弟は兄(諸葛瑾)・姉・諸葛亮・弟(諸葛均)の四人とされています。(姉じゃなくて妹説もあり。)
やがて父も亡くなり、叔父のところへ引き取られます。
その後、長男の瑾は義母と一緒に呉へ、叔父の赴任先に亮と姉・弟がついていくのですが、政治の狭間で叔父も殺され、亮は姉と弟と隆中へきて農民として暮らすことになります。
学友のホウ統達は皆親の金で暮らしており、亮は勉強しながら自分で農業で生計を立てる身でした。
天才でも苦労はしているのですね。

その後学友の中でもめきめきと頭角を表し、自らを管仲・楽毅に比していたが周りでそれを信じるものは友人の崔州平や徐庶くらいであったといいます。
まぁきっと自信家であるあまり変わりものでもあったのですね。

■管仲  中国の春秋時代における斉の政治家桓公に仕え、桓公を覇者に押し上げた。
■楽毅  中国戦国時代の燕国の武将。燕の昭王を助けて、斉を滅亡寸前まで追い込んだ。

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[ 2005/12/11 23:33 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(2)
確かにいたおさんも徐母の死を予想していました!!
もしやいたおさんの知力は水鏡先生レベル!?
低いどころかかなり高そうです。

諸葛瑾は孫権の重臣となります。
諸葛均は・・・後に孔明に畑を任されます・・・(;´Д`A ```

[ 2005/12/12 23:45 ] [ 編集 ]
諸葛瑾も知っていますよ。
これまた知力が高かった。
諸葛一族って頭が良い?
あれ、でも諸葛均は知りません。

『徐庶の母の死を予想していた人物がいました。』
(私か!?私がでるのか!?)
と思った私がとても知力が低いことだけは確かです。
[ 2005/12/12 22:28 ] [ 編集 ]
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私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
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ちゃんとしたものを読みたい方にはこちらをお薦めします。
■三国志演義
■吉川三国志
■北方三国志
■横山三国志(漫画)

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