最近また北方謙三さんの三国志を読んでいます。
今はちょうど三顧の礼のところ。
三顧の礼というと、劉備が孔明を訪ねると一回目も二回目も留守で三回目にやっと会ってなんとか口説き落として(泣き落して)幕僚に加えることができた・・・というストーリーを思い浮かべていたのですが、この小説では一回目の訪問からあっさり孔明と出会っています。
そして劉備の話を聞き終わった孔明は、劉備の話は誰でも話すようなことで自分の心が動かされることはない。。。と断っています。
そんな言い方しなくても・・・と思いますが、しかしいくつもの死線をくぐりぬけてきた劉備ですから、顔を真赤にしてちょっと動揺はするものの、そんなことではめげません。
二回目に訪ねた時、劉備は今度はこれまでの自分の話をします。
しかし孔明は、劉備のような小さな軍が曹操に勝てるはずはない、自分は静かに暮らしていたいのだといってやはり断るのです。
ウーン、歯にものをきせぬ言い方はやはりあちらのお国柄なのでしょうか・・・。
しかしその実、孔明の心は揺れているのです。
このまま畑を耕しながら自分の人生は終わっていいのか、曹操や孫権に仕官するにはちょっと違う気がするが、劉備ならどうだろうかと、、、と心の中では迷っているくせに、でも劉備にはそんな言葉を投げかけてしまっていたのです。
んもうっ、孔明サマったら素直じゃないんだ・か・ら♪
そして懲りずに劉備がまた現れ、無事三顧の礼となるわけです。
孔明の断り文句にも決して怒らず、それをすべて受け入れた劉備の粘り勝ちです。
三顧の礼というと、目上の人が才能ある人物に礼をつくして頼みごとをすること。。。というのが一般的な意味かと思うのですが、これって恋愛や仕事にも通じるのではないかと思いました。
人間って案外あまのじゃくなんですね。
表面的な言葉だけがその人の本心とは限らないのです。
それを知ってか知らずか、話でしか聞いたことのない孔明の才能に目をつけて、孔明の断り文句にもめげずに粘った劉備はやはり人を見る目があったということなのでしょうか。
孔明が来たことで劉備の命運が変わったことからしても、やっぱり劉備ってタダモノじゃなかったのカモ・・・。
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