翌日、周瑜はまた軍議を開いていました。
その居並ぶ将軍達の前で周瑜は、曹軍と我が軍の兵力の数の差が明らかであるのでここはひとまず持久戦にもっていき、遠征で疲れた敵の自滅を待つと告げます。
すると黄蓋が、我が軍は初戦で完勝している、今が一気に攻めるべき時なのに大都督の言葉に従っていたらいつまでたっても曹軍には勝てない、そんなことなら張昭殿が言われたように武器を捨てて曹操の軍門に降った方がよっぽどいい・・・と反論します。
これには周瑜も怒り
「私は君命を受けて三軍を統率する身、降伏を口にするものは斬れと言われている。降伏を口にして軍の士気を下げる黄蓋を今すぐ斬りすてろ!!」
と怒鳴ります。
それを聞いた重臣達は三代の功臣である黄蓋を斬るなどとんでもない、敵を倒す前に味方を斬らないでください・・・と口を揃えて許しを請うと周瑜はそれを受け入れ、黄蓋を斬首でなく百叩きの刑にするのです。
年老いた黄蓋の体が太い木の棒で叩かれ始めました。
その背中は真っ赤に腫れ上がり、傷からは血が流れ始めています。
その場にいたものは皆目を背けました。
魯粛がもうおやめください、黄蓋殿は耐えられるお年ではありません・・・と周瑜にとりなしますが、周瑜は聞き入れません。
半分くらいでとうとう黄蓋がその痛みのあまり気を失ってしまいました。
重臣達が慌ててまた周瑜に許しを請うと周瑜は皆をじろりと見渡し、残り50回は預けておく・・・と背を向けました。
それを聞いた重臣達は慌てて黄蓋を連れ出しました。
皆が下がり、周瑜は一人涙を流していました。
これは周瑜と黄蓋で考えた『苦肉の計』の一環だったのです。
実際に黄蓋を打たせ、そのことを蔡仲・蔡和に曹操側へ情報として流させるのが目的でした。
国の為とはいえ、本当なら何の罪もないしかも年老いた功臣である黄蓋を皆の前で打たせなくてはいけなかった周瑜は一人になると黄蓋への謝罪の思いで涙をこらえきれませんでした。
しかし彼はその憎まれ役を見事に演じたのです。
この出来事が今後どのように発展してくのかは次回・・・。
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ブログやっぱりお休みすることにしたんですね。
再開する時は教えてください。
でも歴史ブログでお会いできますね^^