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三国志79 短歌行の巻 

出陣を控え、曹操は全兵を集めて宴を催していました。
師勗の古代の舞も復元し、宴は盛り上がりを見せていました。
曹操は連環船のおかげで悩みの種も解決し、江東を平定して天下を統一し平和がもたらされた暁にはここにいる諸侯と泰平の世を楽しもうと、上機嫌でした。
曹操は黄巾討伐の頃から使っている矛を持ってこさせ、これまでの数々の戦を振り返ります。
そして天空に名月を戴き、地には大河が流れ、この絶景に感極まったと言って詩を歌いだします。
これが有名な曹操の『短歌行』です。
内容は「さあ、酒を飲んで歌おう」というような内容だったと思います。
まぁ、上機嫌でこれを謡い終わった後、天下一の楽師としている師勗にその感想を尋ねます。
師勗は最初その歌を誉め称えるのですが、曹操は怒りはしないから誤りがあったら遠慮なく指摘して欲しいと言うのです。
すると師勗は曹丞相の詩才は当代一でしょう、ただこの詩の中には雅楽の規範に合わず不吉な文言がある、今まさに出陣というこのような時には避けるべきであると指摘します。
それを聞いた曹操は興を殺いだと言って持っていた矛で師勗を突き刺し、そのまま自分は倒れてしまうのです。
翌日、冷静になった曹操は酒に溺れて彼を殺してしまったことを後悔します。
師勗は天下一の楽師、今日からこの国には雅楽がなくなる・・・そう言って泣き、彼を手厚く葬るのでした。

曹陣営では船を鎖で繋ぎ、武器も軍旗も用意できて戦闘の準備が整ってきました。
曹操は水上塞を巡察しに行きます。
船が鎖で繋がれたことにより兵士の足場が安定しただけでなく、馬も行き来できるようになっていました。
整然と秩序をなして圧倒する大きな連環船の間を魚のように動く早舟を見て、曹操は決戦での勝利を確信していました。
しかし、それを見て呉の火攻めを心配している軍師がいました。
程イクです。
すると曹操は松明を持ってこさせ、これで自分を焼いてみろと言います。
しかし風が程イク側に向かって吹いており、焼くことができません。
曹操は、今は冬、西風、北風は吹くけれど、東風、南風は吹かない、我が軍は長江北岸におり、敵は南岸だ、もし周瑜が火攻めを用いたら燃えるのはどっちだ?と言って笑うのでした。

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[ 2006/03/24 23:59 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(4)

三国志78 天下一の楽師の巻 

ホウ統が、これは江東の民の命を救うためだ、見逃してくれ・・・と徐庶に頼むと彼は83万の兵の命はどうでもいいのか?江東の民の命と兵の命、その重さに違いはないだろう?とホウ統に詰め寄ります。
これにはホウ統も曹操に知らせるつもりなのかと慌てますが、実は徐庶は合戦が始ると曹軍にいる自分も巻き込まれるのでそれから逃れる法をホウ統に聞きたくてわざとそんなことを言ったのです。
それを知ったホウ統は安心し、お前のように先が見える者でも本当にそれが分からないのか?と問いつつも、陣に戻ったら腹心に西涼の馬騰(ばとう)と韓遂(かんすい)が反乱を起こして許昌を攻めていると流言を巻き、曹操がそれを聞いて慌てたら自分が守りに行くと離れれば良い・・・と教えます。
それを聞いた徐庶はなるほど・・・と納得し、ホウ統を行かせるのでした。
この策は実に良く出来ています。
曹軍の将軍達は皆手柄をたてたいから赤壁に残りたがる者がばかりで、その中で徐庶が申し出れば徐庶しか行く人がいなくなるというわけです。
そういうことをとっさに思いつくところがさすがです。

ところで曹軍の中に以前宮中の楽師であった師勗(しきょく)という男がいました。
曹操は彼を天下一の楽師だと重用していました。
相次ぐ戦乱で古代の雅楽の楽譜が焼失してしまったので曹操がこの古楽を復元させるために四方から古い楽譜を集めさせ、師勗がそれを復元する作業をしていたのです。
曹操は将兵を集めて宴を催し、歌と舞で気勢を挙げようと考えていました。
師勗はその祝典で復元したその古代の楽舞を披露するつもりでいたのです。
そして曹操もこの数年の戦の合間に作った詩の中から数曲選んで歌と踊りに興趣を添えるつもりでした。
曹操は兵法だけでなく詩や音楽を好む風流人でもあったのです。
しかし、次回この宴で事件が起きてしまいます。

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[ 2006/03/23 00:06 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(4)

三国志77 ホウ士元の連環の計の巻 

曹操は昔から賢人を重んじる男でした。
ですから鳳雛と名高いホウ統が来た時もそれはそれは下にもおかぬ歓迎ぶりでした。
曹操とホウ統はまず曹軍の陣営を見に行きます。
その水軍は訓練の真っ最中でした。
それは多くの兵達が水軍ならではの訓練に励んでいました。
が、水軍戦になれない江北の兵達は船がひとたび揺れるとすぐ船酔いになり、訓練どころではなくなってしまうのです。
それは曹操の悩みの種でもありました。

しかし丘に登って陣営を見渡したホウ統はこの陣は実に壮観な陣立てであり、陣の内側は早舟が行き来し、しかも林を背に、南に24の門を開いた陣の配置は兵法にもかなっており、たとえ孫子や呉子(昔の兵法家)が生まれ変わってもこのような素晴らしい陣は作れまい・・・と褒め称えます。

宴が始まると、ホウ統は孔明の戦略についての問題点を指摘します。
孔明が起点とする荊州は係争の地になりやすく、いつも戦いに巻き込まれていたのでは天下三分の計の為の蜀まで平定するには力を使いすぎてしまう・・・と。
さらに周瑜に対してはとても大軍を統率できる男ではない、あの度量の狭さ、妬みも強いので孔明を何度も害そうとしている、そんな男に大業を成せるわけはない、音楽でも奏でているのがふさわしい・・・とさんざんこきおろします。
曹操はそれを聞いてどう思ったでしょうか。。。

さらにホウ統は曹軍の欠点について指摘します。
船酔いで病人が多いのでは・・・?と持ちかけると曹操は水が合わずに疫病が流行りだし、命を落とすものが後を絶たないのだと悩みを打ち明けます。
そこでホウ統は一つの計を授けるのです。
水面は潮の流れや風で常に動いているもの、船の揺れに不慣れな兵は病気がちになるでしょう、しかし大小の船を30艘から50艘ずつ順序よく並べ、艫と舳先を鉄の鎖でつなげ甲板に板を敷き詰めれば兵士ばかりか馬までも自由に往来できます。このように船を連環すれば波風による揺れなども抑えられます・・・と。

それを聞いた曹操は少し考え、すぐに鎖や大釘を大量に作らせ、船を繋げるよう命じるのです。
さらにホウ統は、周瑜はまだ若く才をひけらかし軍律ばかりを濫用するので嫌われている、江東の豪傑達はみな曹丞相への帰順をのぞんでいる、自分に任せてくだされば彼らを投降させて来ましょうと持ちかけます。
曹操は大変喜び、勝利の暁にはホウ統に高い位を授けようと言いますが、ホウ統は自分はそんなものはいらない、ただ曹操が江東に進軍した際には領民には手を下さないで欲しいと頼みます。
曹操はそれを快諾しますが、ホウ統は兵達が暴走するということもありえると心配します。
それを聞いた曹操は、軍令に背く者があれば勝手に処罰してよいという内容を紙にしたため印を押し、それをホウ統に渡すのでした。

ホウ統、どこまで演技なのか本物なのかよく分かりません(-_-;)
何はともあれ、役目が済んだホウ統が帰ろうとすると『大胆なり、士元(ホウ統の字)よ・・・』とその肩を叩くものがあります。
それはあの徐庶でした。
ホウ統と徐庶は孔明と共に学んだ仲だったのです。
そして徐庶はあの時以来そのまま曹軍にいたのです。
しかも彼は、黄蓋は『苦肉の計』、カン沢は『偽りの投降書』、士元は『連環の計』、曹軍83万の兵を一人残らず焼き尽くすつもりか?と全てお見通しです。
ここで徐庶に全てをバラされては何もかもが終わりです。

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[ 2006/03/20 23:13 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(5)

三国志76 鳳雛先生の巻 

その頃周瑜は地図を眺めていました。
火攻めという点で孔明と意見が一致したものの、いざ火をかけても船がばらばらに逃げ出したのではあまり効果がない、何かいい案がないかと魯粛に持ちかけます。
魯粛は近くの山中に姓をホウ、名を統、字を子元という鳳雛と呼ばれている者がいる、その鳳雛先生に教えを請いた際に曹操にとりいって鎖で船が四散しないように数珠繋ぎにする『連環の計』を献じよ、ということでした・・・と答えます。
周瑜はそれに感心し、それを鳳雛先生に頼もうと考えるのです。
この鳳雛を忘れた方はこちら

そこへ蒋幹がまたやってきたと報告が来ます。
それを聞いた周瑜はとっさに一つの案が浮かぶのです。

蒋幹に会うと周瑜は書面を持ち出したことをわざと怒ってみせます。
その迫力に蒋幹もたじたじです。
周瑜はここで蒋幹を斬れば世間に無情だと笑われるし、残せばまた軍の機密を盗まれる・・・どうしたらいいだろうと魯粛に問うふりをします。
魯粛の案で蒋幹はしばらく西山の庵で幽閉されることになります。

蒋幹が西山庵を歩いていると、誰かが詩を読んでいます。
なんとその人物こそが鳳雛ことホウ統だったのです。
なんでこんなところにいるのかと蒋幹が訊ねると、ホウ統は以前仕えていた周瑜は器量が小さく、妬みも強いのでここで隠居しているのだと答えます。
それを聞いた蒋幹は呉を探ることができなかった代わりにこの名高いホウ統を曹操の元に連れて行けば手柄になると考え、ホウ統を誘います。
ホウ統はそれならば周瑜に知られる前に・・・とすぐに蒋幹と共に河を渡って曹陣営に向かうことにするのでした。

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[ 2006/03/09 23:41 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(8)

三国志75 曹孟徳の疑惑の巻 

カン沢(かんたく)の不敵な態度に曹操は黙って言い分を聞き、そしてカン沢の差し出した黄蓋からだという書面を読みます。
曹操は子どもの頃から兵書を愛読して兵法に精通しており、『苦肉の計』についてもよく知っていたのです。
当然書面を読み終えた曹操はこれが苦肉の計だとすぐに悟り、カン沢を連れ出して斬るように命じます。
するとカン沢は笑い出しました。
曹操は計を見破った自分を何故笑うのか腑に落ちません。
もし本当に投降する気があるなら日時を指定くるはずだとカン沢に言うのです。

それを聞いたカン沢はさらにまた笑い出しました。
そして兵法に明るいと評判の曹丞相がこんなに無学であるとは・・・とバカにするではありませんか。
自分でも兵法に通じている・・・と自負のあった曹操はカン沢がどうしてそんなことを言うのか納得できません。
カン沢はさんざんじらした後に、もし日時を指定した後に事態が変われば事が漏れてしまう、大事ほど機を見て応変すべきなのだ・・・と説くのです。
曹操はしばらく考えると自分の過ちを認めます。
しかし、『苦肉の計』に関する不信感が拭い去られたわけではありません。
そこへちょうど蔡仲・蔡和達からの密書が届くのです。
それによって黄蓋が本当に周瑜に辱められたことを知った曹操はカン沢と黄蓋の投降をとりあえず信じることにするのです。

呉に戻ったカン沢は黄蓋に報告をすませると、甘寧と周瑜の悪口を言い、盗み聞きしていた蔡仲・蔡和にわざと聞かせます。
蔡仲・蔡和はそれをすぐに信じて出て行き、もし投降するなら自分達が手引きしようと持ちかけます。
甘寧とカン沢はそれに乗ったふりをし、蔡仲・蔡和はそれをそのまま曹操に報告するのです。

曹操は黄蓋・カン沢・甘寧が投降してくるという話をまだ完全に信じたわけではありませんでした。
そこで誰か江東に行って真相を探ってくるようにと言います。
名乗りをあげたのはあの蒋幹でした。
前回の汚名を晴らしたいと考えたのです。
その蒋幹の熱意に曹操も彼に任せることにします。
そして結果は気にせずに功をあせらず、目を開いて真実をよく見てくるようにと送り出すのでした。

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[ 2006/03/08 00:40 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(7)

三国志74 呉の忠臣の巻 

黄蓋の傷は仰向けに寝れないほどひどいものでした。
孔明は魯粛に、これの半分を飲み薬に、残りの半分は体に塗るといいでしょうと薬を差し出します。
すると魯粛はそれを冷たい視線で受け取ります。
魯粛は孔明を恨んでいたのです。
呉の家臣達では周瑜を諌めることはできない、しかし客人の孔明だったら止めることができたのに・・・と。
魯粛が孔明を責めると、孔明はこれが計であり、自分があそこで周瑜を止めてはせっかくの計がだいなしだと答えます。
孔明は周瑜の動き一つ一つでこれが苦肉の計であること見破っていたのです。
しかし魯粛はいくら謀とはいえこれでは少しやり過ぎではないかと訴えますが、孔明は手心を加えては蔡兄弟でさえ騙せない、江東の願いを棒の一打一打に込めて、一人はその痛みを体に受け、もう一人は心に受ける・・・この二人の将帥が呉にいるからこそ江東に未来があるのです・・・と答えるのでした。

その頃、黄蓋は意識を取り戻していました。
そこへ参軍のカン沢(かんたく)が呼ばれて訪ねてきました。
黄蓋はカン沢にこれが苦肉の計であることを明かし、忠義の心を持ち弁も立つ貴殿に投降の書面を届けてもらいたい・・・と頼むのです。
曹操に投降の書面を届ける・・・これは曹操に苦肉の計であることがバレてしまえば、命の危険にも及ぶ危険な役目です。
それでなくても曹操は兵書に明るい策略にも長けた将帥として知られていたのです。
しかし、カン沢は老将軍(黄蓋)の苦しみを思えば私の命など捨てても惜しくはありません・・・とすぐに快諾し、その夜のうちに長江を渡って曹陣営に向かうのでした。

曹操が書物を読んでいると、呉の参軍のカン沢と名乗る男が内密の用があると言って来ていると報告がきました。
連れられて来た男は漁師の格好をしており、目隠しをされていました。
曹操の前に連れてこられると目隠しを外されましたが、曹操に対して挨拶もしません。
曹操が何の用だと聞くと、カン沢はさもえらそうに、曹丞相は賢者を求めていると聞いてきたが、聞くと見るとでは大違いだ・・・と吐き捨てるように言うのです。
そして、黄蓋が周瑜に辱められて帰順を誓った書面をわざわざ届けにきてやったのにこのような冷遇を受けるとは・・・とさらに曹操を挑発するのでした・・・。

ここで曹操が黄蓋の書面を信じてくれないと、周瑜と黄蓋の苦労は水の泡です・・・。

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[ 2006/03/06 23:59 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(5)

三国志73 苦肉の計の巻 

翌日、周瑜はまた軍議を開いていました。
その居並ぶ将軍達の前で周瑜は、曹軍と我が軍の兵力の数の差が明らかであるのでここはひとまず持久戦にもっていき、遠征で疲れた敵の自滅を待つと告げます。
すると黄蓋が、我が軍は初戦で完勝している、今が一気に攻めるべき時なのに大都督の言葉に従っていたらいつまでたっても曹軍には勝てない、そんなことなら張昭殿が言われたように武器を捨てて曹操の軍門に降った方がよっぽどいい・・・と反論します。
これには周瑜も怒り
「私は君命を受けて三軍を統率する身、降伏を口にするものは斬れと言われている。降伏を口にして軍の士気を下げる黄蓋を今すぐ斬りすてろ!!」
と怒鳴ります。
それを聞いた重臣達は三代の功臣である黄蓋を斬るなどとんでもない、敵を倒す前に味方を斬らないでください・・・と口を揃えて許しを請うと周瑜はそれを受け入れ、黄蓋を斬首でなく百叩きの刑にするのです。

年老いた黄蓋の体が太い木の棒で叩かれ始めました。
その背中は真っ赤に腫れ上がり、傷からは血が流れ始めています。
その場にいたものは皆目を背けました。
魯粛がもうおやめください、黄蓋殿は耐えられるお年ではありません・・・と周瑜にとりなしますが、周瑜は聞き入れません。
半分くらいでとうとう黄蓋がその痛みのあまり気を失ってしまいました。
重臣達が慌ててまた周瑜に許しを請うと周瑜は皆をじろりと見渡し、残り50回は預けておく・・・と背を向けました。
それを聞いた重臣達は慌てて黄蓋を連れ出しました。

皆が下がり、周瑜は一人涙を流していました。
これは周瑜と黄蓋で考えた『苦肉の計』の一環だったのです。
実際に黄蓋を打たせ、そのことを蔡仲・蔡和に曹操側へ情報として流させるのが目的でした。
国の為とはいえ、本当なら何の罪もないしかも年老いた功臣である黄蓋を皆の前で打たせなくてはいけなかった周瑜は一人になると黄蓋への謝罪の思いで涙をこらえきれませんでした。
しかし彼はその憎まれ役を見事に演じたのです。
この出来事が今後どのように発展してくのかは次回・・・。

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[ 2006/03/05 01:40 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(16)

三国志72 手の平の計の巻 

孔明が三日で10万本以上の矢を集めたことを知った周瑜は、孔明の奇計には鬼神さえもひれ伏すだろう、自分など足元にも及ばぬ才能だ・・・と孔明の奇才を改めて思い知ります。
そして孔明が周瑜に曹軍への攻撃はいつ始めるのかと聞くと、先日曹陣営の水上塞を偵察に行ったら実に合理的かつ厳重であり簡単には敗れそうもなかった、それで一計を考えたが自信がもてないので是非孔明先生に判断してもらいたい・・・と言います。
孔明はそれは軍の極秘事項だから口には出さず、お互い手の平に自分の計を書いて示しあうのはどうか・・・と持ちかけます。
そして孔明と周瑜はお互い手に何かを書き、見せ合います。
それを見た二人は一緒に笑います。
二人の手のひらには共に『火』と書かれていたのです。
孔明と周瑜の討曹作戦ははからずも火攻めで一致したのでした。

三江口の戦い、そして矢の一件と敗戦続きの曹操は、蔡の従弟である蔡中(さいちゅう)と蔡和(さいか)に偽りの投降をして呉軍に潜り込ませました。
周瑜は二人が家族を伴って来なかったことからその偽りを見破りながらも二人を歓待します。
こちらに都合のいい情報だけを二人に流させて利用しようと考えたのです。

呉軍の長老格に黄蓋という老将軍がいました。
彼は寡少な呉軍は長期戦になると不利になるのに何故攻撃を始めないのかと周瑜に訊ねます。
周瑜は陸戦なら奇襲という戦法があるが、水上戦では不意をついての火攻めは不可能、どうすれば対岸から気付かれず敵に近づき火を放てるかで悩んでいるのだと答えます。
出来れば蔡兄弟のまねをしてこちらも偽の投降者を出すのが良いのだが、曹操は策略に長けているから彼を納得させるには蔡兄弟よりも数段上の大物を投降者として出さなければ・・・と言うと、それを聞いた黄蓋は自分で良ければ投降すると名乗りでます。
しかし周瑜は曹操を騙すには『苦肉の計』ほどの過激な策を用いなければならない・・・呉国三代に仕える勇将である黄将軍に何かあっては江東の民に顔向けできないからとそれを断ります。
しかし、黄蓋は呉候(孫権)の王覇の業の為なら苦肉の計どころかこの身が裂けてもかまわない・・・と強い意志を見せ、周瑜はそれにひたすら感謝して拝礼し、彼に頼むことにするのです。
黄蓋は昔の英雄にならってこの名を歴史に残せるなら死をもまた甘んじて受け入れようと決意をたぎらせるのでした。

注意を受けたので今までのようなリンクは貼れなくなってしまいました。
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次回は呉を思う熱い忠臣達の物語です。

73へ飛ぶ

[ 2006/03/02 23:34 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(5)
三国志


私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
第一話から読む場合はクリック
ちゃんとしたものを読みたい方にはこちらをお薦めします。
■三国志演義
■吉川三国志
■北方三国志
■横山三国志(漫画)

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