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三国志66 久々の再会の巻 

宴会場に着いた孔明は物陰に隠れてそっと様子を伺いました。
武装した兵士が潜んでおり、劉備の暗殺を企んでいることは明らかです。
しかし、孔明は後から駆けつけてきた魯粛に
「これなら大丈夫でしょう。」
と言ってその場を離れてしまいました。

劉備と周瑜は酒を交わし、周瑜の部下達が江東の剣舞を舞っていました。
剣舞を舞う部下達の間に緊張が走ります。
周瑜の持つ杯から目が離せません。
周瑜は杯を落とすタイミングをはかっていました。
しかし、劉備の後ろには鬼神のような髭の長い赤い顔の大男が立っていて辺りに目を光らせているのです。
周瑜は劉備に後ろに立っている人物について聞きました。
劉備は「彼は義弟の関雲長だ。」と答えます。
関羽の噂は周瑜も聞いていました。
あの白馬で顔良・文醜の首を一太刀にして落としたという関羽・・・。

そんなこととは夢にも思わない劉備は周瑜に孔明に会わせてくれるように頼みますが、今ここにはいないとあっさり断られます。
孔明に会えないことが分かると劉備はそれではそろそろ・・・といとまを告げ去っていきました。
結局周瑜は最後まで杯を落とすことができませんでした。
周瑜は劉備を殺していたら自分が関羽に殺されていただろう・・・と思うのでした。

劉備が江夏に戻るために船に乗ろうとするとなんとその船に孔明が乗って待っていました。
二人は再会を喜び、劉備は孔明に
「雲長がいなかったら今頃主公(劉備)は周瑜に害されていたでしょう・・・。」
と言われて初めて暗殺が企まれていたことに気づくのです。
そして劉備は孔明がこのまま呉にいては危険だと心配します。
しかし孔明は自分は大丈夫だから帰ったら戦いの準備をし、11月20日の甲子(きのえね)の日に子龍(趙雲)に早舟を駆って自分を迎えにこさせるようにと言うのです。
劉備はその日に何が起こるのかと聞きますが、孔明はそれには答えず周瑜に気付かれないうちにもう行ってください・・・と船を下りるのです。
そしてくれぐれも日限をまちがえぬよう・・・と念を押すのでした。

結局劉備が難を逃れたのは関羽の武のおかげ?(今回は暴れていないけど)
なんせ動かなくても強いです、関羽・・・。

次回はいよいよあの赤壁の戦いの火蓋がきって落とされます。(といってもまだ初戦。ちょっと戦うだけ。)
そういや、一昨年くらいにあったペ・ヨンジュンの『赤壁の戦い』の噂は一体どうなったのでしょう??
ジョン・ウー監督の渡辺謙に交渉中という『The Battle of Red Cliff(赤壁之戦)』は??
一向に話を聞きませんが実現して欲しいものです。

どっちが見たい?
■ヨン様の『赤壁』
■渡辺謙の『赤壁』
ちなみにヨン様は何役の予定だったんでしょう?
渡辺謙は曹操ラシイ・・・やっぱり。

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[ 2006/01/29 00:46 ] 三国志61~70 | TB(0) | CM(8)

三国志65 暗殺の宴の巻 

周瑜の陣へ劉備の使者がやってきました。
劉備は孔明が呉に行ってからなんの音沙汰もないのを心配し、周瑜が出陣したと聞くと陣中見舞いと称して糜竺に贈り物を持たせて孔明の様子を探りに行かせたのです。
糜竺は周瑜に孔明の様子を聞き、一緒に江夏へ帰ることができないかと問います。
すると周瑜は今は孔明の助けが必要な時でまだ帰すことは出来ないと言い、それよりも劉備に贈り物のお礼がしたいのだが今は陣中で伺うことができないから劉備の方からこちらに出向いて欲しいと逆に頼むのでした。

糜竺の報告を聞いた劉備は呉陣に向かうことにしますが、これに反対したのはいつもの関羽・張飛・趙雲です。
そのまま呉で殺されてしまう可能性もあります。
その上呉にいるはずの孔明からなんの連絡もないのです。
悩んだ末、劉備は関羽を護衛につけて呉へ渡ることにしたのです。

劉備達の予想通り、周瑜は当代一の英雄である(とされている)劉備をも生かしておいては後々呉のためにならないと、これを機会に暗殺することを考えていました。
劉備がやってくると周瑜は喜んで出迎え、宴が始まりました。
そして部下達に杯(さかずき)を落としたら劉備を殺す合図だと命じ、その部下達に劉備の前で剣舞を舞わせたのです。

その頃、孔明は河を眺めていました。
そこへ魯粛が慌てて駆けつけてきます。
しかし孔明が何事かと尋ねても魯粛は何も言わないのです。
孔明が不思議に思った時、遠くで宴の音楽が聞こえました。
その音楽に殺気を感じた孔明は魯粛に今日の宴の客は誰かと訊ねます。
魯粛から宴の客が劉備であることを聞いた孔明は、自分に知らせず劉備を呼んだことから劉備を害するつもりである周瑜の真意に気づくのです。
そして劉備の元へ走るのでした。

なんだか周瑜が悪者のイメージですが、これもひとえに国を愛するがため。
孔明の才能に嫉妬した・・・なんてことも言われていますが、あくまで全ては呉のためです・・・タブン。
なんたって、『美』周郎ですから♪(ぇ、男前に甘い?)

次回劉備はどうやって難を逃れるでしょうか?
■そりゃぁ、もちろん孔明の知で・・・。
■そりゃぁ、もちろん劉備の運で・・・。
■そりゃぁ、もちろん関羽の武で・・・。

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[ 2006/01/27 13:40 ] 三国志61~70 | TB(0) | CM(5)

三国志64 周公瑾の思惑の巻 

翌日は出陣式でした。
厳しい軍令が発表される中、周瑜は副都督の程普がいないことに気づきます。
父は病気だからとその代わりに程普の息子が出席していました。
すると周瑜は皆の前で、程老将軍は具合が悪くても代わりに息子に出席させるとは軍令を守る武人の手本だと誉め称えます。
でも実は程普は仮病だったのです。
孫堅時代からの呉の重臣の中には若い周瑜に対する反感があったのでした。
しかし、息子からの報告を聞いた程普は自分のした行いを恥じ、自ら周瑜の元に向かい深く謝罪します。
周瑜はそれを暖かく迎えて逆にへりくだり、程普の心をつかんだのです。

出陣式の後、諸葛瑾は孔明を訪ねていました。
長く離れていた兄弟ですが、今回孔明は私的な用事で呉へ来ているわけではなかったので兄の諸葛瑾を訪ねることを控えていたのでした。
二人は素直に再会を喜びます。
挨拶が終わると諸葛瑾はおもむろに仲の良い兄弟の故事を持ち出します。
そして自分達は同じ母親に生まれながらいつも離れ離れであるのは悲しいことだと思わないか・・・と話をきりだします。
その話に諸葛瑾の来訪の目的を察した孔明は、兄上が江東を離れて私と共に劉皇叔(劉備)に仕えてくれれば一緒にいることができるのだが・・・と逆に誘って兄の話の矛先を変えてしまうのでした。

諸葛瑾からの報告を受けた周瑜は自分でなんとかしようと考えます。
周瑜は孔明に、官渡の戦いで曹操が勝ったのは兵糧基地を狙ったからだ、今回もそれにならい一千の兵を与えるから曹操軍の兵糧基地を攻めてもらいたい・・・と持ちかけます。
孔明は快諾し、一旦去ります。
実は周瑜は寡兵で曹操を攻めさせて孔明を亡き者にしようと考えたのです。

それを知った魯粛は慌てて孔明の様子を探りにいきます。
すると孔明は自分は水戦・陸戦・戦車戦・騎馬戦いずれも心得ているから問題ないが、江東の詩にもあるように関を守るに魯粛、水戦ならば周瑜、お二人にはそれぞれ得意な分野があるがそれ以外の・・・例えば今回の陸戦などはとても無理でしょうな・・・というのです。
その話を聞いた周瑜は怒り、自分が自ら攻めて陸戦にも長けているところを見せてやるっ!といきまくのでした。
孔明は兵糧攻めを口実に自分を始末しようとする周瑜の本意を見抜いていたのです。
それで魯粛が周瑜に報告することを想定して、わざと周瑜を怒らせて難を逃れたのでした。

まだまだいろいろ起こります。
私は孔明が呉にいる間の話が三国演義の中でも一番おもしろくて好きかもしれません・・・。

今回の話の中で『(‥ )ン?』と思ったのはどっち?
◆そんで諸葛瑾は寝返らないのかぃ?
◆孔明が騎馬戦??
孔明が馬に乗って戦う姿が想像できないのですけど。。。

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[ 2006/01/26 21:23 ] 三国志61~70 | TB(0) | CM(8)

三国志63 孫仲謀の決意 

翌日、孫権に会った周瑜は曹操と戦うことが呉を守る唯一の道であると力説します。
周瑜からそれを聞いた孫権はすぐに曹操と戦うことを決意します。(おそらくこの人は最初から戦いたかったのでは・・・。)
しかし、問題なのは降伏派の文官達です。
幕僚達が仲間割れしていては勝てる戦も負けてしまいます。
そこで孫権はみんなの前で自分の刀を抜くと目の前にあった机をまっぷたつにたたき斬ります。
そして今後この決断に水を差すものがあれば誰であろうとこの机同然になるであろう・・・とその決意を示すのでした。
これでもう降伏を唱えるものはいなくなりました。
そしてその刀をそのまま周瑜に授けると彼を大都督という高い地位に任じ、軍令に背くものがいれば斬って捨てるようにと彼に軍の全権を渡したのです。

曹操と戦うことが決まり、周瑜は孔明の元を訪れていました。
曹操を破る策を聞く為です。
すると孔明はそれよりも呉候(孫権)がまだ曹操軍の数を気にして迷っているからその不安を取り除くことが先だというのです。
決断したはずの孫権が迷っているなどと・・・と思いながらも周瑜は孫権のところへ向かいます。

周瑜が孫権に決意のほどをそれとなく確かめてみると、孔明の言う通り孫権は軍勢の数の差を気にしていたのです。
それで周瑜は曹操軍は百万としているが元々の曹操軍は15、6万で残りは袁紹や荊州で負けた疲れきった兵であること、彼らは心から曹操に従っているわけではないということ、そして北からの遠征で弱っていることなどを指摘し、自分に五万の水軍を授けてくれれば簡単に打ち破ることができると説明します。
その言葉に孫権も憂いを晴らし、周瑜にすぐに出陣するように命じるのでした。

その帰り道、周瑜は孫権の心を見抜いていた孔明のことを考えていました。
人の心まで見抜く孔明をこのままにしていてはいずれ劉備が呉の敵となった時、呉の災いになりかねないと考えたのです。
当時、孔明の兄の諸葛瑾が呉に仕えていました。
そこで周瑜は諸葛瑾に、孔明が劉備の元を離れて呉に仕えるよう説得を頼むのでした。

でもね、普通に考えて孔明が兄に説得されてそう簡単に呉につくとは思えないんですけど・・・。
■ありえんね(-_-)
■・・・いや、案外孔明の行動は予想つかないぞ?(-ω☆)

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[ 2006/01/24 23:44 ] 三国志61~70 | TB(0) | CM(9)

字で分かる兄弟の順 

前に別のところに書いていた記事を書き直しました。
読んだことある方はゴメンナサイ。

伯父と叔父、伯母と叔母の違いを知っていますか?
両親の兄・姉を伯父・伯母
両親の弟・妹を叔父・叔母
と書くそうな。

これはもともと中国から来てるんだとか・・・。
以前にも少し書きましたが、昔中国では姓名の他に字(あざな)というものがありました。
名は親からつけてもらった大事なものだから気安く呼んではいけないという考えがあってその代わりに字という呼び名をつけたそうです。
その字に使われている文字で兄弟の順番がわかる人がいます。

【使われている文字】
長男 伯 孟
次男 仲
三男 叔
四男 李

というわけで三国志では・・・

長男 孫策 伯符  曹操 孟徳  陸遜 伯言
    姜維 伯約  馬超 孟起
次男 孫権 仲謀  司馬懿 仲達  許チョ 仲康  董卓 仲穎 
三男 孫翊 叔弼(そんよく しゅくひつ・孫堅の三男)
    司馬孚 叔達(しばふ しゅくたつ・司馬懿の弟)
四男 馬良 季常  劉璋 季玉

諸葛喬のようにもともと諸葛瑾(孔明の兄)の次男だったのに叔父の諸葛亮の長男として養子に入ったことから『仲真』→『伯松』と字を変えた人も・・・。

と、冒頭の伯父と叔父の文字もこのような中国の風習から来ているようです。


[ 2006/01/23 13:57 ] 歴史ネタ | TB(0) | CM(6)

三国志62 曹植の詩の巻 

孔明は周瑜に、戦うことなく曹操に喜んで兵を引かせる方法があるといいます。
それは一艘の船に二人の人間を乗せて送り届けるだけでいい、戦で何十万もの命が亡くなることを考えれば二人の人間を送ることなどたやすいことだと言うのです。

それを聞いた周瑜が
「で、その二人の人間とは・・・?」
と聞くと孔明は
「江東の喬家には二喬といわれる絶世の美人姉妹がいるといいます。曹操が今百万の大軍を率いてこの江東に押し寄せてきているのはひとえにその姉妹を手に入れたいがため。公瑾(周瑜の字)殿がその二人を探し出して曹操に送れば彼は喜んで兵を引き上げて国へ帰るでしょう。」
と言うのです。
すると周瑜はわなわな震えながら
「それを証明する証拠でもあるのか!!」
と孔明を問い詰めます。
すると孔明は
「曹操は銅雀台を建てた際に文才のある三男の曹植に詩を読ませています。私も好きな詩ですからちょっと朗読してみましょう。」
といって詩を朗読し始めます。
するとその中に
『東南で二喬を抱き、朝夕にこれを楽しむ』
とでてきたではありませんか。
それを聞いた周瑜は
「曹賊めっ!私を侮りおって!!」と激怒します。
周瑜の様子がおかしいので孔明がいぶかしげな顔をすると魯粛が慌てて二喬のうち姉の大喬は先主孫策の妻で妹の小喬は周瑜の妻であるのだと説明します。
それを聞いた孔明はさも驚いたかのようにふるまい
「知らぬこととはいえ、なんという失礼を・・・。」
とわざとらしく謝るのです。
しかし怒りまくってしまった周瑜はそんなわざとらしい孔明の演技に気づきません。
曹操に対する怒りでいっぱいです。
「私は曹操と戦うことを決めたっ!!」
すぐにでも軍を出して攻めにいきかねない様子です。
孔明は
「いや、もう少しよくお考えになった方が・・・」
と一応いさめますが、周瑜はさっきは臥龍先生の考えを探る為に降伏などと言ったが、ハ陽湖を出た時から戦うことを決めていた、臥龍先生にも是非力を貸して欲しいと頼むのでした。

実はこの曹植の詩の原文は
『覧二於東南兮、楽朝夕之与共』となっています。
意味としては『(銅雀台の)東南にある二本の橋を眺め、朝夕に(この橋にある美しい芸術品を)鑑賞して楽しむ。』というものです。
しかし孔明はこれを
『攬二於東南兮、楽朝夕之与共』
と巧みに変え、周瑜を怒らせ、曹操との戦いを決意させることに成功したのでした。

周瑜は確かに愛妻家だったようです。
今回は孔明にしてやられたような形ですが、真相を知ったら・・・怒るでしょうね、やっぱり(^^;)
もし自分が周瑜で真相を知ったらどっち?
■孔明許さじ!!怒って彼を斬る。
■愛妻のことになると周りが見えなくなる自分が悪い・・・。

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[ 2006/01/21 23:20 ] 三国志61~70 | TB(0) | CM(5)

三国志61 江東の周公瑾の巻 

周瑜を覚えていますか?
孫権の兄孫策と義兄弟で美周郎と呼ばれた男です。
忘れた方は16話17話をドウゾ。
周瑜はハ陽湖で呉の水軍の訓練にあたっていましたが、孫権に呼ばれて戻ってきたのでした。

自宅に戻ってきた周瑜は愛妻の小喬と久しぶりに再会します。
しかしその再会を喜ぶ間もなく、降伏派の文官たちが周瑜を訪ねてきました。
そして自分達の意見を力説して周瑜の意見もしきりに聞きたがるのです。
しかし周瑜は明日呉候(孫権)に会ってから自分の意見を話す、と文官たちを早々に帰します。

周瑜が妻のところに戻ると今度は抗戦派の武官たちが訪ねてきます。
そして同じようにまた自分たちの意見を説いては周瑜に意見を尋ねるのです。
周瑜はまた同じようにごまかして武官たちをも帰すのでした。

最期に周瑜を訪ねてきたのは孔明と魯粛でした。
魯粛の計らいで周瑜が孫権に会う前に孔明と会えるようにセッティングしたのです。
みんなが周瑜を訪ねてきたのはそれだけ周瑜が孫権に対して影響力を持っていたからです。
ここで孔明が周瑜を抗戦派に持っていければ孫権を説得できたも同然です。
しかし周瑜が降伏派にまわってしまえば孫権と劉備の同盟も難しくなってくるのです。

魯粛が周瑜に意見を聞くと周瑜は江東の民を救うには降伏ではないかと言います。
それを聞いた魯粛は慌てます。
降伏するということは三代続いた江東の地を曹操に引き渡すということだ、先主孫策から軍事を任された身で呉を破滅させるつもりなのかと反論します。
すると笑い声がしました。
孔明です。
魯粛があまりにも時勢にうといといって笑っているのです。
そして曹操の軍はあまりにも強大で劉皇叔(劉備)も散々やられている、ここはさっさと降伏した方が得策に違いない、しかし自分には戦うことなく曹操軍を引かせる方法があるのだが・・・と言うのでした。
さて、孔明の考えとは・・・?

今回は周瑜の視点で見てみましょう。
自分の国が大軍を率いた曹操に降伏を迫られています。
国内は抗戦派と降伏派で割れ、そこへ敵になるかもしれない劉備の軍師がやってきました。
さてどっち?
■臥龍と言われているし、参考にするつもりで喜んで話を聞く。
■劉備は一緒に戦って欲しいに違いないから警戒して話を聞く。

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[ 2006/01/20 23:23 ] 三国志61~70 | TB(1) | CM(7)

第二回 三国志人気投票♪ 

本当は孔明が登場したらすぐやろうと思っていたのですが、遅くなってしまいました。
前回リクエストのあった太史慈も入れました。
法正はまだ出てきてないので次回入れる予定です、ゴメンナサイ。
24時間たてばまた違う武将にも投票できます。
好きな人物にチェックを入れてコメントがあったらコメント入れて(なくても可)で投票ボタンでGO!
どなたでも参加できます。
結果はその下の虫眼鏡みたいなマークの結果というところから見れます。
前回のように次回投票人物のリクエストがあったら受け付けます。




質問 第二回三国志人気投票


劉備

関羽

曹操

呂布

孫堅

孫策

陳宮

太史慈

陳登

張遼

程イク

夏侯惇

趙雲

孫権

伊籍

司馬徽(水鏡先生)

徐庶

諸葛亮

魯粛






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結果


過去の投票


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[ 2006/01/19 16:53 ] 三国志人気投票 | TB(0) | CM(10)

三国志60 孫仲謀の憂いの巻 

その頃、呉では曹操から降伏して共に劉備を討つように書かれた書面が届いていました。
それをうけて孫権の幕僚達の間では抗戦派と降伏派とでもめていたのです。
若き君主孫権は迷っていました。

そこへ魯粛が孔明を連れて帰ってきたのでした。
しかし、孫権の幕僚達は孔明が孫権に曹操を討つよう仕向けにきたに違いないと反発します。(事実その通り。)
魯粛は事前に孔明に孫権の前で曹操軍が大軍だということを言わないようにと何度も口止めをしていました。
しかし孔明は幕僚達の前で曹操軍は百万であることをあっさりばらし、さっさと曹操に降伏した方がよいと逆にすすめるのです。
それが腑に落ちない孫権はじゃあなんで劉備は曹操に降伏しないのかと問い詰めます。
すると孔明は我が君(劉備)は漢王室の末裔であり、例え勝ち目がなくとも逆賊に降伏などせず最期まで戦うところが孫将軍とはちがうのだというのです。
これに対して怒ったのは孫権です。
なんだかバカにされたかのようです。
怒りのあまり奥へ引っ込んでしまいました。

慌てたのは魯粛です。
孫権の怒りを買えば同盟どころかこのまま呉で孔明が処刑されてしまうこともあるのですから。
魯粛が孫権を怒らせた孔明を攻めると孔明は本当は曹操を破る策もあるのだが、孫将軍がそれを用いる気があるのか試してみたのだ・・・とにこやかに答えるのでした。

それを魯粛が孫権に報告すると孫権は短気になってしまった自分を恥じ、改めて孔明の元へ出向きます。
そこで初めて孔明は曹操軍は百万といっているが実質はもっと少ないということ、兵の大半は袁紹と荊州の兵で心から曹操に忠誠を誓っているわけではないこと、しかも遠路の出兵で疲れており、水軍に不慣れであることなどを告げます。
それを聞いた孫権は一旦挙兵を決意します。

ところがそれを聞いた降伏派の幕僚達は猛反対します。
独裁派の曹操と違い呉は孫堅時代からの幕僚達の力が強い国でした。
それで孫権はまたまた迷ってしまいます。

そこへ呉国太(ごこくたい)がやってきました。
この呉国太は孫堅(孫権の父)の第二夫人でした。
孫権は第一夫人の子でしたが、第一夫人が亡くなる時に妹の呉国太を母と思うようにと言い残していたこともあり、孫権にとっては母同然の人でした。
孫権が悩んでいるのを知ると呉国太は兄の孫策の遺言を思い出させます。
孫策は亡くなる時に孫権に自分で決断できないことが起きた時は国内のことは張昭に、国外のことは周瑜に相談するようにと言い残していたのです。
それを思い出した孫権は早速ハ陽湖で水軍の訓練をしている周瑜を呼び寄せるのでした。

孔明が呉の幕僚達と対面した時、舌戦があったとされています。
しかし幕僚達は誰一人議論で孔明を打ち負かすことは出来なかったようです。
さすが口喧嘩無敗の男。(意味が分からない方はこちらを参照)
次回はいよいよ孔明が周瑜と対面です。

自分が孫権だったらどうしますか?
■なんせ曹操軍は大軍。もちろん降伏。
■相手が大軍でも戦う。(もちろん孔明と組んで)

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[ 2006/01/18 15:22 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(5)

三国志59 自信家諸葛孔明の巻 

劉備軍の姿を認め、追撃を速めた曹操の前に別の軍勢が現れました。
それは江夏の劉キに援軍を借りてきた関羽の軍だったのです。
曹操は関羽が待ち伏せしていたことを知ると孔明の罠を恐れてまた引き上げてしまいます。
関羽と合流した劉備は関羽が用意した船に乗り込み、無事江夏へ逃げることができたのでした。

このことにより、劉備を荊州から追い出すことに成功した曹操は江東の孫権を降伏させて天下を統一すべく、長江に軍を集めました。
その数85万。
曹操はこれを百万の大軍と称して攻めて来たのです。
そして自分に降伏して共に劉備を討つようにという書面を孫権に送ったのです。

その頃、江夏に無事逃げ延びた劉備たちは今後のことを話し合っていました。
百万と称する大軍で江東を攻めてきている曹操軍。
それには寡少すぎる劉備の軍。(借り物なので軍とも呼べない。)
すると孔明はひとまず呉の孫権と組み、曹操が孫権と戦っている間に力を蓄え、孫権が優勢になったら一緒に曹操を討ち取り荊州を手に入れ、曹操が優勢になったら隙を見て江南を手に入れると言います。
さらに孔明は、呉は南下する曹操軍に不安を覚えていずれこちらに使者を送って劉備と曹操の様子を探りにくるに違いない、使者が来たら自分がうまく言いくるめて呉に渡り、自分の三寸不爛 ( さんずんふらん ) の舌を使って孫権が降伏せず曹操と戦うように仕向けてくると自信ありげです。
それを聞いた劉備たちはそんなにうまくいくか??・・・といぶかしがります。

するとそこへ本当に呉の孫権の使者が来たという報告が入るのです。
孫権の使者は魯粛(字は子敬)という文官でした。
劉備と対面した魯粛は孔明の予想通り、曹操の軍について聞いてきます。
すると孔明は曹操の考えは全て分かっているのだがなんせ力が足りないので今はこうして江夏に難を逃れているのだといいます。
それを聞いた魯粛は劉備(と世に名高い孔明)が孫権と手を結べば有利になると考え、同盟をもちかけます。
しかし孔明が、でもこれまで孫将軍とは親交がないから・・・と不安がってみせ、それだったら自分が孫権に引き合わせようと魯粛に言わせてしまうのでした。
それを黙って聞いていた(次から次へと孔明の言ったとおりになっていくのでただ驚いていた)劉備は我に返り、孔明が自分の元を離れることについて不安を訴えます。
もし同盟に失敗したら敵となる劉備の軍師としてそのまま呉で殺されてしまうでしょう。
しかし、孔明は自信ありげに自分のことは大丈夫だから心配ないと不安げな劉備たちを残して魯粛と共にさっさと呉に旅立ってしまうのでした。

アタシはこの頃の孔明の憎らしいほど自信過剰なところが大好きです。
でも自信家過ぎてなんだか不安にもなるんですけどね。
次回からはしばらく劉備から離れて呉の話です。
孔明についての感想はどっち?
■孔明に任せておけばなんの心配もない。
■そんなにうまくいくか??

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[ 2006/01/15 00:56 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(7)

三国志58 長坂橋の張翼徳の巻 

その頃張飛は長坂橋で馬に乗ったまま一人曹操軍を待ち構えていました。
趙雲を追いかけてきた曹操軍は立ち止まります。
曹操が様子を伺うと張飛の後ろの丘の向こうからたくさんの土煙が立ち上っていました。
それを見た曹操はこれまで孔明の計にかかった経験から張飛の後ろには孔明が罠として伏兵を置いているのではないかと警戒するのです

その上張飛が大声で『燕人張飛ここにあり!!一騎打ちをしたいものは出て来い!!』としきりに怒鳴ります。
その声は地響きのように震えわたり、彼のその様子はまるで鬼神のようです。
曹操軍の記憶に以前関羽が投降して曹操軍にいた時のことが浮かびます。
『弟の張飛だったら百万の敵軍の中から大将の首を取ることなど、袋の中の物を取るがごとくであろう』と言った関羽。
顔良・文醜を討ったあの関羽より強い(らしい)張飛が今目の前にいて、一騎打ちをしきりに誘っているのです。
自分から進み出るものは誰もいませんでした。
それどころか、張飛のそのあまりの恐ろしさに曹操軍の部下の一人が口からなにやら吐いたかと思うと馬から落ちてそのまま死んでしまったのです。
それを見て驚いた曹操軍は次々と逃げ出します。
曹操自身も伏兵を恐れてそのまま攻めることができずに結局曹操軍はひとまず退却するのです。

張飛は戦わずして曹操軍をひかせたのでした。
実は張飛は孔明に少し影響されていました。
戦いには知も必要だということに気づいたのです。
それで曹操が来る前に自分の部下に馬の尻に枝をつけて走らせて土煙をあげさせ、さも伏兵が隠れているかのように見せていたのでした。

しかし、張飛はひとつ失敗をしてしまいました。
そのまま何もせず劉備の元に戻っていればよかったのです。
曹操がまたやってきても罠や伏兵を恐れてうかつに近づかなかったかもしれません。
しかし張飛は曹操たちが引き上げると曹操軍が渡って来れないようにとすぐ長坂橋に火をかけてしまったのです。
曹操は長坂橋が燃えているのを知るとこの先に罠がないのを悟り、すぐに橋をかけさせて追撃を始めます。
そしてとうとう劉備軍の姿を認められるところまで追いつくのでした。

最期のツメが少し甘かったですが、でも張飛もツワモノです。
曹操の大軍を一人で引かせたのですから。
攻められてたら終わりです。
さて、評価はどうしますか?
■大変よくできました。
■もう少し頑張りましょう。

59話へ飛ぶ
[ 2006/01/13 23:46 ] 三国志51~60 | TB(1) | CM(5)

三国志57 長坂波の戦いの巻 

趙雲が馬に乗るように言っても糜夫人は阿斗を連れて逃げるようにと言います。
するとそこを曹操軍の兵に見つかってしまいました。
趙雲は一人で曹操軍を追い払います。
ひととおり倒して夫人のところへ戻ってくると夫人の姿が見えません。
糜夫人は自分がいては趙雲と阿斗が逃げるのに足手まといになる、と自ら古井戸の中に飛び込んでしまったのでした。
趙雲は糜夫人を助けられなかったことを悔やみますが、感傷にひたっている暇はありません。
井戸の上に壁を倒して夫人の亡骸が曹操軍の手に渡らないようにすると阿斗を鎧の中にくるんで紐でしばり、四方八方から攻めてくる曹操軍の中を馬に乗って走りだしました。

趙雲は逃げながらも次から次へと攻めてくる曹操軍を倒していきます。
阿斗を抱え、槍を振り回し、手綱なんて持っていません。
脚で馬の体をはさみ自分の体を支えているのです。
そして遠くからこれを熱いまなざしで見ていた一人の男がいました。
もちろん曹操です。
遠くの方で馬に乗った若武者が自分の兵達を次々に倒していくのを見た曹操は
「あれは誰だ!?」
と部下に問います。
そして曹操の部下が慌てて趙雲のそばまで馬で駆け寄り、趙雲に名前を訊ねると趙雲は敵を倒しながらも
「常山(彼の出身地)の趙子龍だ!」
と叫ぶのです。
彼が趙雲だと知った曹操はもちろん彼が欲しくなり、自軍の兵に矢を射ることなく彼を生け捕りにしろと命じます。

しかしただでさえ強い趙雲。
生け捕りなんてことは難しく誰一人趙雲にかなうものはなく、そしてそのまま逃げられてしまうのでした・・・。

趙雲は長坂橋まで来ると、そこにいた張飛に後を頼み、そのまま劉備の元まで駆けつけます。
趙雲の姿に気づいた劉備は駆け寄ります。
趙雲のその顔、その体は鮮血で真っ赤です。
彼は事の次第を全て話し、糜夫人を助けられなかったことを劉備に詫びます。
そして阿斗を差し出すのです。
ところが阿斗の泣き声が聞こえません。
「途中まで泣いていらしたのに、もしやお守りできなかったのでは・・・?」
趙雲が不安に思った瞬間阿斗は目を覚まします。
なんと阿斗はあの戦闘の中を寝ていたのでした。

趙雲から息子を受け取った劉備は阿斗を投げ捨てます。
慌てて趙雲がそれを抱きとめると劉備はこんな子どもの為に優秀な武将が一人命を落とすところだった・・・と言って泣くのでした。
それは趙雲に対する最大の感謝であったに違いありません。
そして劉備のその気持ちに打たれた趙雲もまた涙を流すのでした・・・。

中国電視台の三国志のドラマではこの趙雲の戦闘シーンで『趙雲のテーマ』が流れます。
中国語ですが、「子龍~、子龍~♪」と言っているのが分かります。
趙雲ステキです♪♪♪(∇〃)

次回は長坂橋に残された張飛が趙雲を追いかけてきた曹操軍を追い払います。

今回趙雲が助けた阿斗は後に愚君になるため、趙雲が阿斗を助けたことについてのいろいろな意見が出ています。
さて、どっちに賛同しますか?
■後の蜀の為にも阿斗を助けなければ良かったのに。。。
■いやいや、やっぱりちゃんと助けてょ~~。

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[ 2006/01/11 22:22 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(5)

NHK大河 『功名が辻』 桶狭間 

やっぱ歴史はオモシロイ!!
山内一豊なんて知らなかったけど、有名どころが出てくるので時代背景は分かるし、出演者も豪華です。
舘ひろしの信長もとっても雰囲気出てます。
ただ、早くして亡くなった信長にしてはちょっと歳をとりすぎているような気もするけど。。。
一回目からして一豊の母と両親を亡くしてしまった千代とのやりとりが泣けるじゃありませんか。。。

去年の義経も(タッキーが男前で)良かったけど、義経の最期を思い出すとどうも途中で見る気なくしました。。。
今回は想像つかない分おもしろそうです。

たまたまGyaOのテレビの方の『まんが日本絵巻』で桶狭間の合戦をやっていました。
大河では3万対3千となっていたのにこちらでは4万対4千となっていました。
まぁ、そのくらいの兵力があったということですね。
しかしまんがの方も信長はやり手です。
まるで曹操のよう・・・。

日本でも中国でも自軍よりはるかに大軍の敵に勝っていく先人達・・・三国志や歴史の魅力はこんなところにもあるのかも。。。
[ 2006/01/09 01:38 ] 歴史系テレビ・本 | TB(0) | CM(5)
三国志


私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
第一話から読む場合はクリック
ちゃんとしたものを読みたい方にはこちらをお薦めします。
■三国志演義
■吉川三国志
■北方三国志
■横山三国志(漫画)

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