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三国志56 長坂坡の趙子龍の巻 

その夜はまだ赤ん坊だった劉備の息子の阿斗(後の劉禅)がなかなか泣き止みませんでした。
生みの親の甘夫人から第二夫人の糜夫人が代わって抱いていました。
するとそこへいきなり曹操軍が攻め込んできたのです。
劉備は慌てて命からがら逃げ出します。
ひたすら逃げ回ってふと気がつくと周りには張飛を含む数名しかいませんでした。

そこへ部下が趙雲が裏切ったと報告しにきました。
趙雲が曹操軍の方へ走っていったのを見たというのです。
しかし劉備は趙雲に限ってそんなことをするはずがないといって信じません。
そしてそれを聞いていた張飛は怒り、真相を確かめるために劉備が止めるのも聞かずに趙雲を探しに行くのです。

すると目の前に甘夫人を連れた趙雲が現れるではありませんか。
趙雲は甘夫人を張飛に頼むと今度は糜夫人と阿斗を探す為に一人曹操軍の中に戻っていくのでした。
趙雲は劉備に家族を任されていたのに夫人達とはぐれてしまったため、責任を感じて曹操軍の中を探し回っていたのです。
張飛は趙雲を疑ったことを反省します。

しばらくして趙雲は糜夫人と阿斗を見つけます。
しかし糜夫人は足に大怪我を負っていました。
趙雲は糜夫人に自分の馬に乗るように言いますが、夫人はそれではこの曹操軍の中を逃げ切れない、自分はこの傷でもう逃げ切れないから阿斗だけを連れて行ってくれるように頼みます。
当時劉備の子どもは阿斗だけだったのです。
阿斗は大事な跡取りだったのでした。
しかし夫人を置いてはいけません。
するとそこを曹操軍の兵達に見つかってしまいました。
どうする、趙雲!

おそらく一頭の馬に大人二人+赤ん坊、あるいは夫人に馬に乗ってもらい趙雲が徒歩、だった場合スピードが遅くなって逃げられないということだったのだろうと思います。
曹操軍の中を突破しなければいけないのですから。。。

今回の話の中で注目されているのは劉備の言動です。
彼は趙雲が裏切った、曹操軍の方へ走っていくのを見たと言われたにもかかわらず、趙雲にかぎってそんなことをするはずないと報告よりも趙雲を信用するのです。
このように部下を信用する懐の深さも上にたつ者にとっては必要な要素なんでしょうか。
しかし、三国志には信用してても裏切られるシーンが多々あったりしますけど(-_-;)

どっちが悲しい?
■裏切られる方が悲しい。
■裏切る方が悲しい。

次回は有名な長坂坡の戦い。
趙雲の最大の見せ場です。

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[ 2005/12/28 15:31 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(4)

三国志55 領民の大移動の巻 

またしても孔明の策略にかかったことを知った曹操は激怒します。
そして劉備と親しい徐庶を使者に遣わし、劉備に降伏を迫るのです。
使者としてやってきた徐庶に劉備は自分の元に戻ってきてくれるようにと頼みますが、徐庶は使者として来たのににそのまま劉備軍に戻っては世間の笑いものになってしまうとそれを断るのです。
曹操は徐庶のそんな性格まで見抜いた上で彼を使者として遣したのでした。

結局劉備を降伏させることができなかった曹操は三度目の劉備討伐に出兵します。
その頃、劉備一行は新野の領民を引き連れて樊城から江陵を目指して進んでいました。
小さな樊城では曹操軍の攻撃を防ぎきれないという判断からでした。
曹操が攻めてくるのに領民を見捨ててはいけないという劉備の意見で希望者だけついてくるようにとお触れを出すと、ほとんどの領民が劉備についてきてしまい、十数万人の大移動となってしまったのです。
その上、女・子どもの混じったその移動は遅々としてなかなか進まず、曹操軍に追いつかれるのも時間の問題です。
結局江夏の劉キに援軍を頼むため、関羽が一人先に走ります。
そんな中、劉備は領民達が苦労して歩いているのを見ては自分の為に皆に苦労をさせて・・・と言ってまたまた泣くのでした。

その頃、曹操は襄陽城に入っていました。
劉備達が逃げ、劉・蔡が降伏したため戦わずに荊州を手に入れたのです。
曹操は蔡に水軍大都督という高い地位を与えました。
これは水軍に慣れている蔡を利用しようという考えからでした。
そして降伏した劉を遠く離れた青州に派遣したのです。
劉は住み親しんだ荊州を離れることを拒否しますが、荊州はこれから戦乱となるから離れていた方がいいだろう・・・と理由をつけて無理やり母親の蔡夫人と一緒に青州に送ってしまうのです。
しかし結局その後を部下に追わせて殺してしまいます。

劉備軍では援軍を頼みに行った関羽が戻ってこないので不安に思っていました。
劉備は劉キは孔明に恩があるので(劉キが跡取り問題で継母に疎んじられているのを孔明に相談したことがあった。)孔明の頼みなら断れないだろうと孔明をさらに援軍の催促に行かせるのです。

そして次回、関羽も孔明もいないところを曹操軍に追いつかれてしまいます・・・。

中国で放映された(日本でも衛星放送で放映されたらしい)中国電視台の三国志のドラマではこの領民の移動中、死んでしまう子が出てきます。
病気だったのでしょうか、遺体は河へ流されます。
泣き叫ぶ母親、それを見て泣きながら自分も河に飛び込もうとする劉備、それを止める孔明たち・・・。
ここで領民まで連れて行った意味が分かりません。
曹操だっていくらなんでも残った領民達にそんなひどいことしないだろうと思うのですが・・・。
やっぱり徐州での殺戮が響いているのでしょうか。。。

自分だったらどうしますか?

■(足手まといになるから)置いていく。
■(盾にするために)連れて行く。

どっちを選んでも徳の人にはなれませんね・・・(;´Д`A ```

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[ 2005/12/26 22:02 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(7)

三国志54 孔明の火計の巻 

曹操軍は怒涛の勢いで攻めてきていました。
そしてついに曹軍の先鋒、曹仁・曹洪が率いる10万の軍勢が新野に到着したのです。
ところが新野城の城門が開いています。
最初、曹仁・曹洪はこれは孔明の罠に違いないと疑います。
しかしなんといっても10万の大軍。
もし罠があっても城内では何もできまい・・・とそのまま突入するのです。

ところが、新野城はもぬけの殻でした。
劉備達は領民を連れて逃げ出したようです。
遠征で疲れていた曹仁軍はひとまずここで休憩することにするのです。

兵達が食事をとり、休んでいると西門から火が上がっていると報告が来ました。
すると次々と北門からも南門からも火が上がっていると騒ぎになりました。
しかも風が段々強くなり、火の勢いはますます増し、城内は一面火の海となりました。
兵達が慌てふためき城内を逃げ回っていると、東門だけが火がついていません。
曹軍は一斉に東門から逃げ出しました。

するとそこに趙雲が軍を率いて待ち構えていたのです。
態勢の整っていない曹仁軍はひとまず河を渡って逃げることにします。

その頃その河の上流では関羽が土壌で河の流れをせき止めていました。
関羽は孔明が風が強くなることを予想していて、それが当たったことに驚いていました。
火計に一番必要なのは強風だったからです。
そして下流の方で曹仁軍の兵馬の声が聞こえた関羽は堰きとめていた水を一斉に放ったのです。
河を渡って逃げようとしていた曹仁軍はそのままその激流に流されてしまいました。

さらにその激流からかろうじて逃げ出した兵たちを待ち構えていたのは張飛の軍でした。
張飛軍にふいを襲われた曹仁軍はそのままほぼ全滅させられてしまったのです。

こうして孔明の作戦により、劉備達は再び勝利しました。
その頃劉備は領民達を連れて新野から樊城に移動していました。
曹仁軍を破った関羽たちもその後を追い、樊城で合流するのでした。

なんだかんだとちょこちょこ勝っている劉備たちですが、曹操軍はまだまだ大軍です。
しかも劉備達は兵だけでも弱小軍ですが、今は領民も一緒です。
次回、領民を連れて逃げ出したことで劉備たちは逃げることもままならなくなってくるのでした。

結局前回の答えはどっちだったでしょう。
■逃げた
■戦った
(-ω-;)ウーン 戦ったけど結局逃げた?

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[ 2005/12/23 16:01 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(3)

三国志53 荊州の危機 

夏候惇は曹操の元に逃げ帰り、敗戦を詫びます。
事の次第を聞いた曹操は夏候惇を許し、再び彼に10万の兵を与え負け戦の汚名をはらすようにと告げるのです。
さらに、曹仁・曹洪・張コウ・夏候淵・干禁・李典と曹操自身が夏候惇と合わせて計50万の大軍を率いて劉備と呉の孫権を討つべく南征を始めたのです。

この頃劉備が客として寄せていた荊州では異変が起きていました。
かねてより病床にあった荊州の太守、劉表が亡くなったのです。
劉表の二人の息子は先妻の子である長男の劉キ、そして現在の妻、蔡夫人の子である次男の劉でした。
そして劉表は劉備の意見を取り入れて、次の跡取りには長男の劉キと遺言状に書き残していたのです。
ところがそれを知った蔡夫人は遺言状を破り捨て、実弟の蔡(さいぼう)と偽の遺言状を作り、劉を跡継ぎにしてしまったのです。
さらに蔡は進軍してきた曹操に使者を送って和睦を申し入れました。
これは荊州が曹操の軍門に下ることを意味していたのです。

劉備はこれらのことを、関羽がたまたま取り調べていた怪しい男が曹操への降伏の書面を持っているのを見つけて初めて知ったのでした。
蔡夫人と蔡は劉表が死んだことさえ劉備に知らせていなかったのです。
これを知った孔明達は劉備に、曹操が荊州城を占拠する前に我々が荊州に乗り込むべきだと進言します。
しかし劉備は劉表に息子と荊州のことを頼まれていたのにそれを奪うなどどうしてできようか・・・とこれに反対するのです。
孔明達は劉備の気持ちに感心するやら、ふがいないやら・・・。
しかし結局主の劉備が承諾しなければ動けないのでした。

その頃曹操軍は怒涛の勢いで新野のすぐそこまで攻めて来ていました。
さて、劉備軍どうする?
■もちろんソッコー逃げ出す。
■戦う
■荊州を奪う

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[ 2005/12/22 00:06 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(4)

泣き虫弱虫諸葛孔明 

この記事は先月書いたんですが、孔明が出てくるまで待っていたのです。
しかし、孔明が登場して、ようやく公開する日が来ました。

前書いていたブログで『諸葛孔明を愛した娘』という本についてのTBでこの本の存在を知りました。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』ですょ?
アタシの愛する孔明が泣き虫で弱虫???
これは読まずにはおれん!
てなわけで、早速図書館へ行って探してたのですが、何度行っても毎回貸し出し中・・・。
しょうがないので予約してやっと借りてきた一冊です。

まず、おもしろい。
読んでる途中で何回笑ったか分かりません。
孔明好きな人なら楽しめます・・・いや、逆に怒るかしら?

NHKの三国志特集の中で諸葛村が出てきた話が載っていました。
実はその番組はアタシもビデオに撮って見た記憶があったのでいつ書かれた本なのかと思ったら2004年、結構最近の本でした。

三国志自体に対しても三国時代というのは献帝が実際に即位してたんだからそれまでは後漢時代じゃないのかと鋭いつっこみが入っています。

そして、なんといっても孔明がド変人です。
子どもの頃は口喧嘩無敗を誇り、いじめた相手には(変人なのでよくいじめられる)得意の火計で仕返し。
大人になっては貧乏農夫のくせに道士が着るような服を着て、頭に綸巾(組紐で作った頭巾)を戴き羽扇を手にして(要するに普通の人はしないような奇怪な格好をして)道を歩きながら大きな声で梁父吟という自分で作った歌を歌い、すぐに宇宙を語りたがる。
弟の諸葛均はあまりにも変わった兄を持ったが為に苦労し、異常な程気の小さい男になってしまう。
確かに孔明という男はよく考えてみれば変人です。
しかし本当にこの本では周りの人にも忌み嫌われる程の変人っぷりです。

孔明の姉はそんな孔明に嫁でも来てもらえば少しはマシになるに違いないと、嫁探しをしますが、あんな孔明のところに娘はとてもやれん・・・とことごとく断られます。
ところが孔明の姉の舅であるホウ徳公が目をつけたのが地元でも名士の黄承彦・・・の娘。
この娘、非常に才女でいろんな発明をする人であったので周りからはちょっと変わった目で見られていて(実際に嫁に来てからも自動でうどんを打ってゆでるロボットとかを作る)、まぁ、変わり者同士ということで孔明とは気があったのですね。

この孔明、自分の名を売るために、自分で臥龍と名乗り、自宅を臥龍岡と名付け、周りに協力してもらって噂をたててもらいます。(英雄の耳に入るようにね。)
ちなみに鳳雛の方も孔明が考えて、水鏡先生に適当な人材を探してきてもらう。
これがまた、賢人でないといけないが孔明のひきたてやくにふさわしいくらいちょっと落ちるくらいの人と条件を勝手につける。
ところがこの『臥龍売り出し計画』はやりすぎで、世間にますます変人扱いされてしまう。
うむ、ちょっとやりすぎた・・・と思った孔明は嫁をもらったのをきっかけに嫁にどっぷりはまってしまい、臥龍売り出し計画頓挫。

そして劉備・・・。
この劉備、結構な悪&堕落ぶりです。
徐庶や水鏡先生に孔明を薦められるものの、一向に気がすすみません。
なんせ臥龍を求めていたのに噂を聞いてみたら誰一人いいことを言わないんですから・・・。
でも徐庶を奪われ、曹操に追い詰められたりして、ちょっとその気になると関羽・張飛に反対され、かと言って二人に言われた通りにするのは癪というあまのじゃくぶりで、自分ではその気がないのに結局三顧の礼をすることになってしまいます。

やたら宇宙を語りたがる超変人孔明と全然いい人ではない(時々猫かぶっている)劉備、果たして三顧の礼はどうなる・・・といったお話です。

もっと詳しく知りたい方はこちら


[ 2005/12/20 12:24 ] 歴史系テレビ・本 | TB(0) | CM(12)

三国志52 博望坡の戦いの巻 

曹操に10万の大軍を任された夏候惇は順調に博望坡の手前まで進んできていました。
すると前方に劉備の先鋒の趙雲の軍勢が見えます。
趙雲の数も少ない軍勢(おそらく装備もまともにできていなかった・・・。)を見て、夏候惇は孔明は天下の奇才などというがあの貧弱な軍勢で勝てると思うとは戦を知らぬ青二才だと言って笑い、攻めてきます。
趙雲は作戦通り、しばらく戦うと軍を引かせます。
勢いに乗った夏候惇軍はそのまま追撃してくるのです。

しばらくすると今度は劉備が現れました。
劉備さえ殺してしまえば戦は勝ったも同然です。
ところが劉備も少し戦ってはひいていくのでした。
熱くなっている夏候惇はどんどん博望坡の奥深くまで攻め込んでいきます。
副将の干禁がこの地形から伏兵を配置してあるかもしれないと心配しますが、夏候惇はこの数の差では伏兵などいても関係ない、とどんどん進んでしまうのです。
そして道は狭くなり、いつしか大軍である曹操軍は細く長く間延びしてしまいました。

さすがに少し不安を感じ始めた夏候惇は退却を命じました。
ところが長く伸びきってしまった軍には命令がなかなか行き届きにくく、止まる者、後ろから進んで来てぶつかる者、と混乱しだした時、後方から火の手が上がりました。
するとすぐに道の両側から火だるまが落ちてきます。
曹操軍は火に囲まれ大混乱になりました。
しかし、細い道ですから、逃げ場がありません。
さらに関羽・張飛・趙雲の活躍で曹操軍はどんどんやられていきます。
そして一晩のうちに曹操軍10万がほぼ全滅してしまうのです。

関羽・張飛はわずかな手勢で曹操軍10万を討ち取った孔明の知力を思い知り、これからは軍師の為に全身全霊を尽くすと孔明の前に誓うのでした。
こうして孔明の初陣は大量の兵糧を手に入れ、大勝利に終わりました。

これがやや派手な孔明の軍師デビューです。
この負け戦に怒った曹操が次にとった行動とは??

やはり孔明が勝ちました。
この孔明、いつも頭に綸巾と呼ばれる冠をかぶり、道士の服を着て、手には羽扇を持っています。
彼のこの服装は独特ですので、三国志系の像やフィギュア、絵などを見ても関羽(髭が長い)と孔明だけはすぐわかります。

どっちが欲しい?
■孔明が持ったいた羽扇
■この戦いで得た大量の兵糧
(-ω-;)ウーン 羽扇も欲しいが、この時代の兵糧がどんなものだったのかも気になる・・・。

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[ 2005/12/19 16:21 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(3)

三国志51 出陣式の巻 

孔明の初陣は対曹操軍となりました。
天下の奇才とされる孔明でしたが、この初陣にはいくつかの問題点がありました。
ます、寡少劉備軍に大して圧倒的大軍である曹操軍との数のちがい。
それから関羽・張飛が孔明のことを快く思っていないこと。
軍師として孔明が命令してもこの二人が命令を聞かない場合もありえるのです。
そして当の劉備本人でさえが、賢人として迎えた孔明を信じきれないでいること、なんといってもあの曹操が攻めてくることに不安を感じていることを孔明は気付いていたのです。
孔明がそれを劉備にほのめかすと劉備は剣と印を孔明に渡しました。
それはこの軍の全権を孔明に任せたということでした。
(この劉備の思い切りの良さもすごい・・・負けてばかりだから肝はすわってるのかも。。。)

孔明は将軍達を集め、出陣式を始めました。
今まで行き当たりばったりの戦い方だった劉備軍にはなかったことです。(徐庶がいた時は例外)
そして戦いは地の利を得たものが勝利する、その為ここより90里離れた博望坡を戦いの場とするというのです。
博望坡には左に豫山という山、右に安林という林があって軍勢を潜ませるには絶好の地、そこで関羽に一千の兵を率いて、豫山に隠れ、敵軍をやり過ごし、後方にある兵糧軍が来たらそれを奪いとって火をつけるように言います。
張飛には同じく一千を率いて安林に潜み、火の手が上がったら打って出て博望坡を焼き払うようにいいます。
そして趙雲には先鋒をつとめ、正面から向かうが、決して勝ってはいけない、少し戦ったらわざと負けて引き下がり、敵を深く誘い込むようにと言うのです。
そして劉備には最大のおとりとなって、趙雲がひいた後に出て行き、同じようにわざと負けて引き下がり、敵をさらに誘い込むようにと言うのでした。

それを聞いた張飛が、じゃあ自分達が戦っている間軍師殿は何をするのだと聞くと(殿をつけるあたりが皮肉?)孔明は自分は城に残り勝利の宴会の準備でもしていましょうと言うのです。
それを聞いた張飛は、劉備をはじめとする自分達が命がけで戦うっていうのに自分は宴会の準備かっ!と怒りだします。
それを見ていた劉備が、孔明には全権を委任したのだから孔明の命令は私の命令だと思え、といさめるのです。
関羽は張飛にまずは戦の結果を見てからだと納得させるのでした。

なんだか早くも前途多難です。
さて、孔明の初陣ズバリどっち?
■劉備軍の勝利
■やっぱり曹操軍の勝利

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[ 2005/12/17 16:01 ] 三国志51~60 | TB(0) | CM(2)

三国志50 水魚の交わりの巻 

劉備が孔明を迎えてしばらくすると、孫権が荊州を攻めてきました。
荊州は今劉表が病に伏し、息子の劉キ・劉が跡継ぎ問題でもめており、頼りになるのは劉備くらいですが、その劉備さえ弱小軍団でありました。

これを絶好の機会と考えたのが曹操軍の片目の夏候惇です。
孫権が荊州を攻めている今、北から曹操軍が攻めれば劉備を簡単に破ることができると考えたのです。
しかし、荀がこれに対して、劉備は油断のならぬ相手の上、最近は天下の大賢人という諸葛孔明を迎えたというから少し注意が必要だといいます。
それを聞いていた曹操は孔明を知っている徐庶に孔明とはどんな人物かと問います。
すると徐庶は自分が蛍の光だとしたら孔明は夜空に輝く月の光、鬼神も恐れる変幻自在の奇略計略を行う奇才であると褒め称えます。
曹操は考えましたが、結局夏候惇に10万の兵を与えて劉備を攻めさせるのです。

その頃劉備は孫権が攻めてきたというので不安になっていました。
ところが迎えたばかりの孔明は孫権のことは心配ないと言います。
孫権は聡明な男だから奥深くまでは攻めてはこない、それより心配なのは曹操だが、もし曹操が攻めてきたところでそれに備えて今訓練をしてあるから心配ない・・・と言って劉備を安心させるのでした。

孔明を迎えたことで劉備軍では不満が上がっていました。
その筆頭がなんといっても関羽・張飛です。
孔明を迎えてからというものの、劉備は孔明と寝食を共にし、いつもべったり。
桃園の誓い以来、苦楽を共にしてきたのは自分達なのに、昨日今日来たばかりの若造をかわいがってばかりいる・・・と嫉妬していたのですね。
すると劉備は関羽と張飛に、自分が孔明を得たのは魚が水を得たようなものなのだと言って二人に説明するのでした。
これを『水魚の交わり』といい、大変親密な(君臣)関係のことをいいます。

するとそこへ曹操軍10万が攻めてきたという知らせが入ります。
しかし孔明を気に入らない関羽・張飛は、兄者(劉備)の好きな水に追い払ってもらえ・・・などと言う始末。
大軍を前にして乱れるチームワーク。
さて、孔明の初陣はどうなるのでしょうか・・・?

男が男を相手に嫉妬ってするするものなのでしょうか?
しかも関羽・張飛のような武人が・・・。
いくら親密だからって昨日今日会ったばかりの男同士で好んで一緒に寝るものなのでしょうか?
道理で三国志ホモ話が多いはずです。
でもそれだけ劉備のことが好きなんでしょうね、みんな。
何故そこまで好かれるのか・・・。

一緒に寝たくないのは?
■隣に寝たら髭がからまりそうな関羽
■一緒に寝たら酒臭くていびきがうるさそうな張飛

第51話へ飛ぶ
51~55に飛ぶ

[ 2005/12/15 23:35 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(4)

三国志49 天下三分の計の巻 

劉備は声をかけて起こそうとした諸葛均を止め、孔明が起きるのを待つことにします。

やがて日がかげってきました。
外で待たされていた張飛はイライラして中を覗き、劉備を待たせて孔明がのうのうと寝ているのを見ると怒り出します。
しかし、劉備はそれをたしなめます。
すると、孔明が起きました。
劉備が来ていることを聞くと孔明は着替えて出てきます。
孔明を見た劉備は驚きました。
孔明は劉備よりもはるかに若かったのです。

孔明は待たせた無礼を詫びて部屋に招きいれ、手紙を読んだが自分は若輩で才もなくとても役にたてそうにない、と断ります。
しかし劉備は漢室再興と苦しむ民を救うための熱い想いを語り、孔明に自分はこれからどうしたらいいのかと教えを請うのです。

すると孔明は曹操を倒すためにはまず、東の孫権と結び、荊州を支配下に治めていずれ機会を見て西の益州(蜀)を手に入れ、北は曹操に東は孫権に譲り、天下を三つに分けてから対抗するという天下三分の計を説くのです。
劉備は荊州の劉表も益州の劉璋も同じ漢王室の一門でそれを倒すなどということはとうていできない・・・と不安を口にすると孔明は劉表は天文にもうすぐ命運が尽きることが出ているし、劉璋は悪政で民の不満が高まり、荊・益両州はいずれおのずと将軍(劉備)の手に入ってくるでしょう・・と言うのでした。

これまで天下統一して民を救いたいとは思うものの、自分の領土も持てずただ劉表の客でしかなく、何をしたらいいのかも分からなかった劉備はその話に感動し、改めて孔明に自軍に来てくれるように頼みますが、孔明は自分には百姓暮らしが似合ってるのだと頑なに断ります。
すると劉備は孔明に来てもらえなければ漢室再興も叶わず、民の苦しみが続くばかりだと言って泣くのです。
孔明はその涙に心打たれ、とうとう劉備に仕えることを決意したのでした。(泣き落とし?)

こうして孔明は隆中を出て、劉備に仕えることになりました。
隆中を出る際に弟の諸葛均に自分が戻ってくるまで畑と家のことを頼んでいきますが、最後まで孔明がここに戻ってくることはかないませんでした。
この時劉備47歳、孔明は27歳でした。

孔明は自分で梁父吟という歌を作ってよく歌っていたといいます。
その内容は斉の宰相・晏嬰が、2つの桃で3人の壮士を殺したという逸話を歌ったものです。
前々回に少し出てきた、管仲・楽毅、そして晏嬰は全て君主を補佐した人物であり、これは孔明自身も自ら英雄になるのではなく、誰かを補佐する立場になりたい・・・という気持ちの現れであったとされています。

孔明は三顧の礼の少し前に結婚もしています。
黄承彦という地元の名士の娘でしたが、この娘が色が黒くて髪が黄色であったということから醜娘であったとされています。
このことから『孔明の嫁もらいを真似するな』という歌ができたとか・・・。(ヒドイ!)
しかし彼女は大変な才女で、その知性を孔明が気に入って嫁にもらい、孔明が後に発明したとされる木牛流馬なども彼女の発明だったという説もあります。

まぁ、とにかくこれで孔明は劉備の元に行くことになりました。
すると次回早速孫権・曹操が攻めてきます。
天下の奇才と言われる孔明ですが、これらにどう立ち向かうのでしょうか・・・。

どっちと結婚したい?
■美男あるいは美女だけどあまりオツムのよろしくない相手
■見た目はあまりよろしくないけど、とてつもなく天才

案外天才と結婚したりすると苦労もあるかも。。。

第50話へ飛ぶ
[ 2005/12/14 15:29 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(6)

三国志48 三顧の礼の巻 

今回から諸葛亮に限り字で孔明と呼びます。
親しみをこめて・・・♪
と言いたいところですが、入力が面倒なんです(-_-;)

劉備達が臥龍岡につくと中から子どもが出てきました。
劉備はその子に

劉備「漢の左将軍 宜城亭候 予州の牧 皇叔劉備が来たと臥龍先生に伝えてください。」
子ども「そんなに長い名前覚えられません。」
劉備「じゃあ、新野の劉備が来たとだけ伝えてください。」
子ども「先生は今朝でかけました。」
劉備「お帰りのご予定は・・・?」
子ども「4、5日で帰る時もあるし、1ヶ月帰って来ない時もあるし・・・」

劉備は諦めて帰ることにしました。
すると男が一人やってきます。
劉備はその人が臥龍ではないかと思い尋ねてみると、その男は孔明の友人で崔州平といい、孔明を訪ねるところだったといいます。
人違いでしたがひととおり崔州平に教えを乞い、劉備は帰るのでした。

しばらくたって、臥龍が家に戻ってきているという情報を得た劉備は雪の中を関羽・張飛を連れて臥龍岡まで出向きます。
すると途中の居酒屋で歌を歌う声が聞こえます。
寒さもあって劉備達はそこに寄ることにします。

中では男達が歌を歌っていました。
劉備はそれを聞くとその人達にも臥龍先生ではないかと尋ねますが、またもや人違いだったのでした。(孔明の友達ではあったけど。)

臥龍岡へ着くと今度は中へ通されました。
すると若い男が出てきました。
今度こそ彼が臥龍だと思い、劉備が自己紹介をするとその男は兄は外出しているのだと答えます。
その男は孔明の弟の諸葛均だったのです。
二度訪ねても会えなかった劉備は孔明に当てて手紙を書き残していくのでした。

やがて春が来ました。
曹操が丞相になったという報せを聞いた劉備はまた臥龍に会いに行くことを決意します。
関羽・張飛がなかなか会えない上に自分からは訪ねてこない孔明のことを批判すると、周の文王でさえ、太公望に会った時は彼の釣りが終わるまで後ろに立って日が暮れるまで待っていたのだと故事を持ち出してたしなめるのでした。

臥龍岡に着くと、諸葛均が今日は兄は昼寝をしている・・・と中へ通してくれました。
見ると背中を向けて寝ている男の姿が見えます。
いよいよ次回は孔明との対面です。

劉備が孔明を迎える為に三度臥龍岡へ足を運んでいます。
これを『三顧の礼』といいます。
賢人を迎えるためにはたとえ名声高い劉備でも三度も足を運んだのだ・・・という故事で今では何度も礼を尽くして頼むことをいうのだそうです。
賢人とはいえ当時の孔明は無名の若者、なのに牧(太守)であった劉備が礼を尽くしたというのは結構大変なことであったのかもしれません。

三顧の礼について誤った解釈を選びましょう。
■三個の礼 <(_ _)><(_ _)><(_ _)>
■三個の霊 ~~~(m-_-)mウラメシヤ-m(-_-)mウラメシヤ-m(-_-m)m~~~ウラメシヤ-

第49話へ飛ぶ
[ 2005/12/13 00:26 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(5)

三国志47 徐母の死の巻 

曹操の元へ着いた徐庶は早速母親に会わせて欲しいと願い出ます。
ところがせっかくやってきた徐庶の顔を見た母親は、偽手紙に騙されて明君を捨てて暗君につくとは家名を汚したといって徐庶を激しくなじると奥に引っ込んでしまうのです。
しばらくすると奥から叫び声が聞こえました。
徐庶が入っていくと母親が首をつって自殺していたのです。
徐庶は嘆き悲しみ、それからしばらく母の墓のそばに小屋を建て喪に服して暮らしていましたが曹操からの供養の品は一切受け取らなかったといいます。

徐庶の母の死を予想していた人物がいました。
水鏡先生です。
劉備を訪れ、話を聞くと徐庶の母親はそんな手紙を書くような人物ではない、徐庶が騙されて曹操の元に行ったら怒りのあまり自害してしまうに違いない・・・と言ったので劉備達は初めてそこで事の次第に気付くのです。

劉備は徐庶が教えていった諸葛亮という人物について水鏡先生に聞きました。
すると水鏡先生は諸葛亮は周朝を興した姜子牙(太公望)か、漢朝の基礎を開いた張子房(張良)にも優るとも劣らない人物であるといいます。
それを聞いた劉備はますます諸葛亮なる人物が気になります。

ある日劉備は諸葛亮を訪ねるべく、隆中に向かいました。
すると農民が歌を歌っています。
その歌が気になった劉備はその歌を作ったのは誰かと聞くと農民は臥龍先生だと答えるのです。
臥龍先生とは伏竜のことにちがいありません。
臥龍先生の住居を聞くと、林の中の臥龍岡(がりょうこう)だと言われ、とうとう劉備は臥龍岡を訪ねるのです。

その頃、北中国を制圧した曹操は南征の為に玄武池という人口の湖を造り、軍船を浮かべて水軍の訓練を開始していました。
中国の南側は長江が流れており、水軍戦になるであろうことを考えてのことでした。

諸葛亮ははやくに母を亡くし、父親は再婚しています。
兄弟は兄(諸葛瑾)・姉・諸葛亮・弟(諸葛均)の四人とされています。(姉じゃなくて妹説もあり。)
やがて父も亡くなり、叔父のところへ引き取られます。
その後、長男の瑾は義母と一緒に呉へ、叔父の赴任先に亮と姉・弟がついていくのですが、政治の狭間で叔父も殺され、亮は姉と弟と隆中へきて農民として暮らすことになります。
学友のホウ統達は皆親の金で暮らしており、亮は勉強しながら自分で農業で生計を立てる身でした。
天才でも苦労はしているのですね。

その後学友の中でもめきめきと頭角を表し、自らを管仲・楽毅に比していたが周りでそれを信じるものは友人の崔州平や徐庶くらいであったといいます。
まぁきっと自信家であるあまり変わりものでもあったのですね。

■管仲  中国の春秋時代における斉の政治家桓公に仕え、桓公を覇者に押し上げた。
■楽毅  中国戦国時代の燕国の武将。燕の昭王を助けて、斉を滅亡寸前まで追い込んだ。

第48話へ飛ぶ
[ 2005/12/11 23:33 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(2)

三国志46 徐庶との別れの巻 

その手紙を受け取った単福こと徐庶は、劉備に本当は自分は徐庶(字は元直)であること、老いた母親のために曹操の元に駆けつけたいことを申し出、徳の人である劉備は心ならずもそれを認めるのでした。

別れの時、劉備は徐庶を失うことが悲しくて泣いていました。
徐庶の出立の時も、見送りという名目でもう少しもう少しと曹操の元まで行くんじゃないかというくらいずっと付いていくのです。
そして徐庶がいなくなることがどんなに悲しいかと訴えてはまた泣くのでした。
徐庶はそんな劉備の心に感激し、曹操の元へ行っても一計たりとも献策しないと約束し、とうとう劉備の元を去っていきました。
劉備はその後ろ姿を見送り続け、木で徐庶の姿が見えなくなるとあの木々を切り取ってしまえ、とまで言ったといいます。

ところがしばらくするとその徐庶が戻ってくるではありませんか。
劉備は咄嗟に徐庶の気が変わって自分のところに戻ってきてくれたのかと思います。
しかし、徐庶は別れを悲しむあまり大事なことを言い忘れていたというのです。

徐庶は襄陽から20里程行った隆中というところに住んでいる賢者を訪ねろといいます。
劉備がそれなら徐庶が連れてきてくれというと、徐庶は彼は自分から来るような男ではない、かならず劉備が自分で行って訪ねるようにというのです。
その男の姓は諸葛、名は亮、字は孔明といい、その才は天下において右に出るものはいない、必ず劉備に役に立つはずだと薦めます。
劉備はふと、もしかしてその男は伏竜、鳳雛のどちらかではないかと聞くと徐庶は鳳雛とは襄陽のホウ統のことで、伏竜とはまさに孔明のことであるということを伝えると劉備の元を去っていくのでした。

やっと伏竜の正体が知れました。
徐庶と諸葛亮は同じ水鏡先生の門下生であったのですね。
(てか、知っていたならさっさと教えてくれ、徐庶・・・。)

徐庶は母親の手紙が偽の手紙であったことを気付いていた説もあります。
ただ、母親が曹操に人質としてとられていることには変わりなく、親孝行な徐庶は母親の為に曹操の元に向かったのでした。

やっと孔明の名前が出てきました。
彼こそアタシの大本命です。
(*/∇\*)キャー♪
次の選択を選んでください。
■これからは諸葛亮を応援する。
■これからは孔明を応援する。
■これからは諸葛孔明を応援する。
さあ、どれにしますか?(='m') フフ

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[ 2005/12/10 23:22 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(6)

三国志45 単福の正体の巻 

曹操の元に戻った曹仁と副将の李典は劉備に負けただけではなく樊城を奪われたことを曹操に侘びます。
てっきり打ち首を覚悟していた二人でしたが、曹操は「勝敗は世の常だ」と言ってあっさり許すのでした。
曹操は部下が戦に負けることには比較的寛大であったといいます。

しかし曹操は自軍2万5千が劉備軍たった二千に負けたことが腑に落ちません。
単福という軍師を迎えたという話も聞きましたが、そんな名前も聞いたことがありません。
すると程が単福とはきっと徐庶(字は元直)のことであろうといいます。
徐庶は若い頃に人を殺してしまったことがあり、それで偽名を名乗っているのでした。
しかも彼の才能は程によればその何倍以上もあるというのです。

曹操はそのような才能のある人物が劉備の元にいると、この後にも影響してくると考えました。
すると程が徐庶の年老いた母親が曹操の領土内におり、彼は大変な親孝行らしいから母親を許都に連れてきて呼び寄せさせれば徐庶もきっとやってくるだろうと言います。
曹操は早速徐庶の母親を許都に連れてくるように命じます。

曹操が徐庶の母親に才に長けた徐庶を軍師として招きたいのがだ一筆息子に書いてくれないかと頼むと、彼女は息子が劉備に召抱えられて誇りに思っているのにあなたのような逆賊の暗君に仕えろなどとは口が裂けても言わない・・・と断固拒否します。
曹操は逆賊と言われたことにひどく怒りますが、ここで年老いた老母を殺したとあっては世間体が悪く、ひとまず彼の母親を屋敷に住まわせることにするのです。

それからというもの、程は毎日ように徐庶の母親に贈り物をしました。
それに感謝した母親は程に礼状をしたたためました。
しかし、それは程が仕掛けた罠でした。
徐庶の母親の筆跡を手に入れた程はそれを真似して徐庶に当てて手紙を送ったのです。

さて、次回その手紙を受け取った徐庶・劉備は・・・?

自分だったらどうしますか?
■母親の手紙などシカトしてそのまま劉備のところにいる。
■母の為に不本意ながらも曹操のところへいく。

親孝行してください・・・と言いたいところですが、親孝行なはずの徐庶は最悪の結果を迎えてしまうのでした。

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[ 2005/12/10 00:23 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(3)

三国志44 軍師 単福の巻 

劉備がある日領土を散歩していると一人の男が歌を歌っています。

山谷に賢ありて明主に投ぜんと欲す
明主は賢を求むれど却って吾を知らず

(山に賢人がいて良い主に仕えたいと思っていたが、主は賢人を求めているのに私のことを知らない・・・というような内容ではないかと。)

これを聞いたとき、劉備はこの男が伏竜か鳳雛ではないかと思います。
それでこの男に声をかけるのです。
しかし彼は自分は伏竜でも鳳雛でもなく単福(ぜんふく)という名前で、新野城主の劉備が賢士を探していると聞いたがなんのつてもないので歌って気をひいていたのだと言います。
そして劉備の乗っている馬を見て、この馬は額に白い斑点のある的盧という凶馬である、これに乗っていると悪いことが身にふりかかるといいます。
劉備がこの馬は以前自分を窮地から救ってくれたのだと言うと、それならまだ祟りは残っているから誰か他の人に譲り、その人が祟りを受けてから引き取って乗ればいいのだと言うのです。
それを聞いた劉備はそんな人を陥れるようなことはできないと怒ります。
すると単福は笑い出し、劉備が徳のある人物だと聞いていたのだがそれが本当かどうか試したのだ、これからは劉備のために自分の知恵の限りを尽くして仕えたいと言い出すのでした。

単福を劉備陣に迎えると単福は早速軍の訓練を始めました。
その見事な采配に劉備はを目を見張り、彼を二千の劉備軍の軍師にするのです。

その頃曹操は荊州の国境に近い樊城に曹仁ら三万の軍勢を置いていました。
しかし、劉備が軍事訓練を始めたことを知って危機を抱き、五千の兵で新野を攻めてきます。
しかしこれはあっけなく単福の挟み撃ち作戦にあい、負けてしまうのです。

怒った曹仁は二万五千の兵を引き連れて新野を攻め、八門金鎖と呼ばれる陣をひきます。
これは休・生・傷・杜・景・死・驚・開の八門から成っており、生・景・開門から攻めれば利あれど、傷・驚・休門より攻めれば傷つき、杜・死門から攻めれば生きて帰れぬ・・・といわれる難しい陣でした。
それを見た劉備はとまどいますが、兵法に精通していた単福はこの陣は東南の生門から突入して西の景門へ駆け抜ければ崩れる・・・と趙雲に5百騎を率いて駆け抜けるように指示します。
趙雲がその通りにするとものの見事に陣は崩れ、そこを劉備が総攻撃をかけ、大勝利を収めるのでした。

一旦は逃げた曹仁でしたが巻き返しをはかるため夜討ちを考えていました。
しかしこれも単福に見抜かれていたのです。
夜討ちのつもりで攻めたはずが、逆に待ち構えられていて命からがら樊城に戻ろうとするとそこには関羽が先回りして樊城を乗っ取っていたのでした。

こうして劉備は単福のおかげで曹操から樊城を奪うことができました。
(もしかして曹操に勝つの初めて?)
劉備は兵法を知る軍師の力というものを身をもって知ったのでした。

相変わらずの弱小劉備軍ですが、今回は曹操に勝っただけでなく城まで奪うことができました。
さて、今回誉めてあげるとしたらどっち?
■もちろん単福
■たった五百騎で二万五千の曹仁軍の中に飛び込んでいった趙雲

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[ 2005/12/08 16:17 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(2)

三国志43 伏竜と鳳雛の巻 

蔡が追いかけてきたので劉備は川に飛び込みました。
しかし、川の流れが激しく馬がなかなか進めません。
もはやここまでか・・・と思った時信じられないことが起きました。
馬が反対側の崖の上までジャンプしたのです。
蔡達は追いかけることができず、諦めざるをえませんでした。
劉備はこの馬のおかげで命拾いをしたのです。

川に入って着物はびっしょりの上、蔡に命を狙われ、これからのことを考えて劉備が途方にくれていると牛に乗った子どもがやってきました。
するとその子が「あなたはもしや劉玄徳将軍ですか?」と聞いてきます。
ふいに名前をあてられた劉備は驚いてどうして自分を知っているのかと子どもに尋ねます。
するとその子は師匠である水鏡先生がそう言っていたのだといいます。
不思議に思った劉備はその師匠のところへ連れていってくれるように頼むのです。

やがて一件の家の前に着きました。
すると中から老人が出てきて劉備の姿を一目見て、今日は災難もあったようだからとりあえず中に入るようにとすすめます。
これが水鏡先生こと司馬徽(字は徳操)です。
水鏡先生が劉備が来ることも窮地を逃れてきたことも当てたので(着物が濡れてりゃそれくらいのことは分かるカモ)劉備はすがるような気持ちで自分が旗揚げして以来、なかなか領地を持つこともできず、今も劉表の客となって何をすることもできないでいる・・・と訴えます。
すると水鏡先生はそれは劉備の周りには優れた人物がいないからだと言うのです。
これには劉備は反論します。
彼の周りには関羽・張飛・趙雲をはじめとする強すぎる人たちが集まっているのです。
しかし水鏡先生は彼らは武人として優れているが、その彼らを用いる人物がいない、伏竜か鳳雛のどちらかを得られれば天下をも握ることができるであろうと言うのです。

伏竜とは今は身を沈めているがいずれは天に昇る竜のことであり、鳳雛とは鳳凰の資質を備えた雛のことでどちらも今は無名だがいずれ世にでる人物であるという意味の例えでありました。

劉備は伏竜と鳳雛とは誰のことなのかと水鏡先生に聞きます。
するとそこへ馬の蹄の音が聞こえ、軍勢がやってきた気配がします。
劉備は咄嗟に蔡の追手がやってきたのかと思い身構えますが、やってきたのは劉備を心配して探していた趙雲だったのです。
ここにいては追手がいつやってくるかもしれないということで結局伏竜・鳳雛のことは聞けずにそのまま新野に帰ったのでした。

劉備はようやく自分に足りないものに気付きました。
この時から劉備は伏竜・鳳雛を探し求めるのですが・・・続きは次回。

どれがいい?
■今は無名だがいずれ世に出る伏竜となりたい。
■今は無名だがいずれ世に出る鳳雛となりたい。
■今は泣いてばかりだがいずれ皇帝になる劉備になりたい。

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[ 2005/12/07 22:08 ] 三国志41~50 | TB(1) | CM(4)

三国志42 髀肉の嘆の巻 

荊州に逃げ込んだ劉備は劉表の計らいで荊州の片田舎の新野というところに駐屯していました。
その頃、第一夫人の甘夫人が劉備の子を産みます。
甘夫人が北斗を飲み込んだ夢を見た時に身ごもったということでその子は阿斗(のちの劉禅)と名付けられました。

この頃、劉備がトイレに立った際に髀(太もも)に肉がついているのに気が付き、涙したといいます。
馬に乗っているとそんなところに肉はつかないのですが、長いこと馬に乗らない生活をしているとそういうところに肉がついてしまうのですね。
それで劉備が『自分は功業をたてねばならぬ身なのに何もできぬまま月日は流れ老いが忍び寄ろうとしている・・・』と嘆いたといいます。
これを『髀肉(ひにく)の嘆』といいます。
現在では功名を立てたり力を発揮する機会にめぐまれない無念さをいうのだそうです。

しかし劉備は三国演義では主人公ですから、そんな心配しなくてもちゃーんと次の波乱が待っています。

その頃荊州では跡継ぎ問題でもめていました。
劉表の先妻の子である劉キ、それから現在の妻の蔡夫人の子である劉。
劉表が劉備にそのことで相談すると劉備が長男である劉キを薦めた為、これを知った蔡夫人と弟の蔡に恨まれることになってしまうのです。

ある日、劉備は荊州での宴に招かれました。
しかも劉表の具合が悪いので劉備に主人役をつとめて欲しいとのことです。
この誘いに劉備陣の人々は蔡の策略の気配を感じました。
日頃から劉備に恨みを抱いている蔡が劉備を呼び出して暗殺するつもりなのではないかと疑います。
かといってこれといったちゃんとした理由もないのに断ることもできません。
それで趙雲が劉備の護衛としてついていくことにしたのです。

宴会の途中、伊籍という劉表の部下が劉備に近づいてきて蔡が劉備の命を狙っている、西門以外は見張りがいるから西門から逃げるようにと教えてくれます。
劉備はそれを聞くとトイレに行くふりをして、そのまま馬に乗り逃げました。
すると劉備の前に流れの激しい大きな川がありました。
その川の向こう側が高い崖になっている為、西門には見張りがいなかったのです。
すぐに蔡が気付いて軍を率いて追いかけてきています。
前方に崖、後方に蔡のまたもや劉備のピンチです。

さて、ここで問題です。
劉備は今までに何回泣いたでしょう。
■5回以下
■6回以上
ごめんなさい、正解は分かりません。
すぐに思い出せるだけで3回は泣いています。
これからも彼はよく泣きます。

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[ 2005/12/06 12:38 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(3)

三国志41 陳琳の檄文の巻 

袁紹は優柔不断な男でした。
許攸の進言を罠だと疑い決断することができなかったのです。
しかし曹操はちがいました。
すぐさま兵を集めると夜明けの烏巣に攻め込んだのです。
烏巣はまたたく間に曹操の手に落ちました。
それを聞いた袁紹は烏巣に援軍を送り、曹操がいなくなって空になったはずの官渡の曹操軍にも攻撃をしかけます。

曹操は自分の軍に烏巣軍の鎧を着せて袁紹軍に見せかけ、知らせを受けて応援に来た袁紹軍に烏巣はもう奪回した、と油断させて引き返させたところを後ろから襲います。
それに勝つとすぐ官渡に戻り、そこを攻めていた袁紹軍を挟み撃ちにし、袁紹軍は総崩れ、袁紹はわずかな手勢を引き連れて命からがら黄河を渡って逃げ延びたのでした。
こうして曹操はその決断力とその行軍の速さによって10倍の数の袁紹軍に勝つことができたのです。

烏巣を守っていた淳干ケイは、曹操が攻めてきた時やはり酔っていた為、烏巣を守ることができませんでした。
曹操は彼の顔に『烏巣の酔っ払い』と落書きをさせ、袁紹の元に送り返したといいます。

曹操が押収した袁紹軍の戦利品の中には曹操軍の武将が密かに袁紹と通じていた証拠を示す密書が多数残されていました。
しかし曹操は自分でさえ弱気になっていたのに他の者が不安になって袁紹と通じたのも無理のないことだといってその密書を焼き捨てさせ、そのことを二度と口にしなかったといいます。

この後、曹操は勢いにのり汝南に駐留していた劉備を攻撃します。
しかし、兵力に劣る劉備軍が持ちこたえられるはずもなく、劉備達は荊州の劉表を頼って落ちのびてきます。

さらにその後、袁紹が病死。
袁紹の息子たちが跡継ぎの座をめぐって対立しているところへ曹操が攻撃を開始したため名門袁氏一族は曹操により滅亡させられます。
こうして曹操は北中国一帯を制覇することとなったのです。

官渡の戦いが始まる際に袁紹が陳琳に書かせた檄文が有名です。
それには『曹操の祖父曹騰は悪行の限りをつくした宦官であり、父曹嵩はその養子となり賄賂で官位を得て漢王室を傾けさせ、そのような血筋を引き継いだ曹操は狡猾で残虐非道・・・』とさんざんな悪口が書かれています。
曹操が北中国を統一した際に曹操は皆の前で陳琳にこの檄文を読ませます。
するとこのような悪口が出てきたので臣下達は慌てますが、曹操は自分が頭痛がひどくて、その上袁紹軍が大軍で弱気になっている時にこの檄文を読むと怒りが再燃しそして官渡に勝つことができた、勝てたのは陳琳のこの檄文のおかげだ、しかしそれにしても自分だけじゃなく、父や祖父の悪口まで書くことはなかろう・・・と笑って彼を自分の部下にしたといいます。
怖ろしく器のデカイ男です。

次回は荊州に逃げ込んだ劉備の話です。

お好きなのをどうぞ。
■曹操、やはり只者ではないな。
■それでも曹操は嫌い、またはどちらでもない。
■孟徳サマ、愛してしまいました・・・(///(エ)///)

第42話へ飛ぶ

[ 2005/12/05 23:56 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(3)

三国志40 官渡の戦いの巻 

孫策の跡を継いだ孫権は曹操と同盟を結びました。
これに怒った袁紹は黄河に駐留していた70万の大軍を率いて一騎に許都へ攻めて来ました。
これを聞いた曹操は荀に留守を任せ、7万の兵を率いて出陣します。
いよいよ官渡の戦いの本番です。

曹操軍(許チョ・張遼・徐晃・李典・夏候惇・曹洪)らは果敢でしたが、数の多い袁紹軍にはやっぱりかないません。
袁紹はさらに曹操軍の陣の前にやぐらを築き、その上から雨の如く矢を降らせます。
曹操軍は対抗して、発石車で石を投げ、このやぐらを攻撃します。

次に袁紹は坑道を掘って曹操の陣中に斬り込もうとしますが、曹操はこれを察知し、陣の周囲に塹壕を掘って対抗するのでした。

こうして戦はまた膠着状態となり季節が変わろうとしていました。
戦が長引くと問題になるのが兵糧です。
曹操軍は兵糧が乏しかった為、さすがの曹操も少し弱気になってきていました。

そんな時、曹操が許都の荀に向けて兵糧を送るようにと書いた手紙が袁紹側に渡ってしまいます。
これを見つけたのは許攸という男で、彼はこれを袁紹の元に持って行き、兵糧が乏しい今こそ曹操に総攻撃をかけるべきだと進言します。
しかし袁紹は曹操は計に長けた男だから罠かもしれないと言ってこれに反対するのです。

このことを根にもった許攸はその夜袁紹の陣を出て、かつて親交のあった曹操の元へ向かいます。
曹操は寝ていましたが、旧友の許攸が来たと知ると喜んで彼を迎えました。
そして許攸は袁紹軍の兵糧は全て烏巣というところにあり、ここを守っているのは淳干ケイ(じゅんうけい)という酒好きの男で今頃酒を飲んで寝ているにちがいないと告げるのです。
さて、これを聞いた曹操はどうするのでしょうか。

■曹操も袁紹と同じようにこれも罠かもしれないと警戒する。
■これはチャンス!と許攸の言うことを信じてすぐに烏巣へ攻撃開始。

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41~45へ飛ぶ

[ 2005/12/04 15:22 ] 三国志31~40 | TB(1) | CM(6)

三国志39 孫伯符の死の巻 

江東では孫策が精兵を整え、兵糧を豊かに蓄え、善政を敷き、人々の尊敬を集めていました。

ある時、許貢という人物が孫策を裏切ってることを知り、怒った孫策はすぐ彼を処刑します。
ところがそれに恨みを抱いた許貢の部下が狩りに出た孫策を待ち伏せして襲い掛かってきたのです。
孫策は一命をとりとめたものの、槍に塗られていた毒が骨にまで浸透し、絶対安静の身となってしまいました。

そんな頃江東では干吉という老人が仙人であると評判を集めていました。
しかしそういうものを信じない孫策は民を惑わすといって干吉を捕らえたのです。

江東はここしばらく長い日照りに悩まされていました。
孫策は干吉に雨を降らせることができたら無罪放免にしてやると言います。
そして干吉は見事に雨を降らせるのです。
ところが孫策は人々が仙人を信じるようになっては人心が乱れると言って彼を殺してしまいました。

そしてその夜から孫策は干吉の亡霊に悩まされるようになります。
毎晩現れる亡霊にさすがの孫策も弱っていきます。
そして枕元に弟の孫権(字は仲謀)を呼び、戦いなら私はお前に負けないが、賢臣を用いての政治はお前にはとても及ばない、と言って彼に後を頼み永遠の眠りにつくのです。
26歳という若さでした。

跡を継いだ弟の孫権はこのとき18歳。
彼は孫堅・孫策以来の旧臣である、韓当、黄蓋、程普、周瑜、太史慈らの武官や、張昭、張紘などの文官に加え、諸葛瑾、魯粛、呂蒙、陸遜などの新世代の優秀な文武官など臣下にも恵まれ、後に呉の初代皇帝となるのです。

孫権は碧眼紫髭といわれ、目が青く、髪や髭が赤紫色(多分今の茶髪ではないかと・・・)であったとされており、非常に日本人離れ・・・じゃなくて中国人離れしていたと思われます。
曹操や劉備に比べるとどうも影が薄いように思われますが、それは孫権が二人に比べると最初から臣下や領土に恵まれていた為、出番が少なかったからではないでしょうか。

次回は官渡の戦いがいよいよ本格化してきます。
さて、勝つのはどっち?
■ぇ・・・官渡って誰と誰の戦いだっけ?
■曹操
■袁紹

正解は・・・次回では決着がつかないかもしれないので、その次かその次か・・・(;´Д`A ```

第40話へ飛ぶ
[ 2005/12/03 13:54 ] 三国志31~40 | TB(0) | CM(4)

三国志38 再会の巻 

徐州で別れて以来行方不明になっていた張飛の居所が分かり、関羽は嬉しさで胸がいっぱいになってすぐに出迎えに来るように古城へ早馬を走らせます。
しばらくすると城から張飛が馬に乗って走り出てきました。
ここでいよいよ感動の再会!!・・・かと思われましたが、なんと張飛はいきなり斬りかかってくるではありませんか。
張飛は関羽が曹操に下り、献帝から位まで授かり優遇されていると聞いて、劉備を裏切って曹操に下ったのだと思い関羽を憎んでいたのです。
劉備の甘夫人が関羽が今まで自分達を守ってここまで連れてきてくれたのだと必死に訴えますが、張飛はききません。

そこへ曹操の軍勢がやってきました。
張飛はそれを見て、その軍も関羽が率いてきて張飛をおびき出し討つつもりだったのだと勘違いしてしまいます。
関羽は張飛の誤解を解くために、その軍の大将を討ってくると言い出します。

その軍の大将も関羽が六将を斬ったことを知って怒り、追いかけてきたのです。
すぐに関羽に斬りかかってきますが、関羽の敵ではありません。
あっという間に首を落とされ、大将が倒された軍勢もそれを見て逃げ出しました。
曹操軍を討った関羽を見て張飛はようやく信用するのでした。

こうして関羽はやっと張飛と再会することができました。
しばらくして連絡を受けた劉備も駆けつけ、三人は徐州で離れ離れになって以来、しばらくぶりにやっと会えたことを喜び、涙するのでした・・・。

そしてこの後もう一人再会した人物がいました。
趙雲(字は子龍または子竜)です。
彼は元々公孫サンに仕えており、その時に劉備に仕えたいと申し出たのですが、劉備は公孫サンが先輩であったためこれを断ったのです。
しかし、今は公孫サンも袁紹に討たれ、趙雲が劉備を探し求めていたところ、古城に張飛がいるという噂を聞いてやってきたのでした。
こうして趙雲も劉備軍に入ることになりました。
劉備はしばらくここで兵を募り、馬を買い集めて力を蓄えることにするのです。

次回は再び孫策の出番です

趙雲は姿や顔つきが立派だったとしか記述がないようですが、アタシの中では若い男前のイメージです。
生まれた年も不明ですが、漫画や映像に出てくる趙雲は劉備たちよりはるかに若そうなものが多いように思います。
ただ、劉備より二つ年上だった説などもあり、本当のところは分かりません。
そして彼も義に厚く、強い・・・。
大好きな武将の一人です。
後に五虎大将軍の一人になるほどこれから大活躍です。

今回の感想をどうぞ。
■意外とあっさり再会?
■やっぱり張飛か・・・。
■関羽、よく頑張った・・・。

第39話へ
[ 2005/12/02 15:52 ] 三国志31~40 | TB(0) | CM(4)

三国志37 関雲長の千里行の巻 

関羽がやっと袁紹の領地へ入って一息ついていると、曹操の腹心(で従兄弟)の夏候惇(字は元譲)が追いかけてきます。
夏候惇は関所で部下を関羽に殺されたことを知り怒って追いかけてきたのでした。

二人が戦っていると遠くから誰かが駆けてきて戦うのをやめるように叫んでいます。
それは曹操の使者でした。
曹操が関羽を無事関所を通すようにと使者を使わしたのです。
通過手形を持ってきた使者は戦うのをやめるように・・・と夏候惇に告げますが、夏候惇は曹操はまだ関羽が六将を斬ったことを知らないのだ、これを知ったらきっと怒るにちがいないと言って関羽に斬りかかるのです。

そこへまた誰かが駆けてきて戦うのをやめるようにと叫んでいます。
それは張遼でした。
曹操は関羽が六将を斬ってしまってもなお彼を無事に通すようにと張遼を走らせたのです。
それを聞いてやっと夏候惇は身をひきます。
関羽は張遼に礼と別れを告げ、また旅が始まりました。

しばらくすると関羽を遠くで呼ぶ者がいます。
それは劉備軍の文官の孫乾でした。
実は袁紹は一旦は関羽が来ることに賛成していたものの、顔良と文醜の仇ということで関羽がやってきたら殺してしまおうと言い始めました。
それで劉備は荊州の劉表を味方につける為に説得してくるという名目で袁紹の元を抜け出していたのです。
そして入れ違いにならないように孫乾を待たせておいたのでした。
孫乾によると劉備はまだ先の方にいるようです。
孫乾と合流してまだ旅は続きます。

少し行くと古城という城がありました。
関羽が通りすがりの者を捕まえて聞くと、最近張飛という将軍がそこをのっとり兵を構えているというではありませんか。
次回はいよいよ張飛との感動の再会か・・・と思いきやそうすんなりはいかないのでした・・・。

今回出てきた夏候惇、戦で左目を打ち抜かれ片目であったため、盲夏候とも呼ばれていました。(もう一人の夏候淵と区別するため?)
その夏候惇、左目に矢がささった時に矢をひっぱったら目玉が飛び出てきてしまったので、両親からもらった大切な体の一部を捨てるわけにはいかない、とその目玉をそのまま食ってしまった・・・それを見た敵将が驚いている間に敵将の顔面を串刺しにしてしまった・・・そんな逸話が残っています。
さてあなたが夏候惇だったら何味?
■やっぱりわさび醤油に決まっておろう・・・。
■マヨラーだから何にでもマヨネーズじゃ。
■そんなもの食えるかっ!

第38へ飛ぶ

[ 2005/12/01 21:41 ] 三国志31~40 | TB(1) | CM(4)
三国志


私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
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