FC2ブログ
月別アーカイブ  [ 2005年11月 ] 
≪前月 |  2005年11月  | 翌月≫

三国志36 関雲長 五関に六将を斬るの巻 

関羽が許都を出ると、東嶺関という関所で止められました。
そして曹操の通過手形を持っていないとここは通せないと言われます。
関羽が急いで出てきたからそんなものは持っていないが、曹操には暇乞いをしてきてあると言うと、許都へ使者を送り曹操に聞いてみないとどうしても通せないと兵達が関羽達を捕らえようとするのです。
劉備夫人達に危害を加えられたくない関羽はそんなに待ってはいられないと、その大将を斬り殺してしまいます。
それに脅え後ずさりする兵達に関羽は、やむを得ず斬っただけだから無駄な殺生をする気はない、と言い関所を通っていくのでした。

関羽はその次の関所でも同じように通ることを阻止され、そこで大将を二人殺してしまいます。

ところがその次の沂水関ではとても手厚く歓迎を受けます。
ここは快く通してくれそうだったのですが、関羽は隠れていた武装兵を見抜き、乱闘になり兵を皆殺しにして逃げるのです。

次の関所では太守が宿に泊めてくれました。
長い道中雨風にまみれ、疲れきっていた一行はこれを有難く思い、泊まることにします。
そこへその太守の副将であった胡班という男が世に聞く関羽とはどんな男なのかとこっそり覗きにきます。
関羽の容貌を見て、これこそ真の英雄だと胡班が驚いていると覗いていたのを関羽に気付かれてしまいました。
ところが関羽はその男が胡班という名前だと知ると、道中父親から預かってきたと言って一通の手紙を差し出すのです。
それを読んだ胡班、実はここの太守は関羽達を宿ごと燃やして殺そうとしているのだと教え、そっと裏門から逃がしてくれるのです。
見つからないように脱出した関羽達ですが、それに気付いた太守がすぐ追撃してきました。
関羽は夫人達を先に行かせ、自分一人で立ちはだかります。
そして太守がこいつも連れて行けと、首だけになった胡班を差し出すのです。
それに怒った関羽はまたもや太守を一撃で殺してしまいました。

次にやっと黄河に辿り着きますが、ここでも曹操に連絡をとらないと通せない、船も貸せないの一点張りで兵達が襲い掛かってきます。
またもや大将を殺してその場を鎮め、、なんとか船で袁紹の領地へ渡るのです。

これが有名な『五関に六将を斬る』です。
ひとまず黄河を渡り、袁紹の領内へ入って一安心かと思ったらまだまだ苦難は続きます。

中国でドラマ化された『三国志』では夫人達の乗ってる車に雨風が入らないようにしたり(でも自分はびしょぬれ)、馬車が泥に埋まると兵達と一緒に泥まみれになりながら車輪を押す関羽の姿があります。
どこかに泊まろうにも、いつ誰が襲ってくるかわからず、敵地の中を進んでいるようなものだったのかもしれません。

さて、関所を通るために曹操の部下達と次々と殺害してしまったことになる関羽ですが、これを知った曹操は次回どういう行動をとるでしょうか?
■一旦は行かせたものの、部下達を殺されたことに腹を立てて追撃してくる。
■それでも関羽の味方になり、部下を殺したことは目をつぶって行かせてくれる。
■これを口実に引き戻し作戦に出る。
正解は次回で。

第37話へ
スポンサーサイト




[ 2005/11/25 16:18 ] 三国志31~40 | TB(0) | CM(3)

三国志35 関雲長の出立の巻 

いつ行っても会ってもらえない関羽はとうとう諦めます。
曹操の屋敷の門の前で挨拶をし、立ち去る決意をします。

関羽は曹操にもらった数々の財宝を一つ一つ封じて倉庫におさめ、曹操宛の手紙を置くと夫人達を車に乗せて屋敷を出ました。
そして劉備の元へ向かったのです。

曹操は関羽が贈り物を全て残し、手紙を置いて出て行ったと報告を受けます。
曹操の部下達からは関羽を追って討ち取るべきだと意見が出ます。
しかし曹操は関羽の義理堅さにますます惚れ、回避牌をかけるという自分の行いを恥じ、せめてきちんと別れを告げたいと後を追うのです。

曹操が追いかけてきたことを知った関羽は警戒して、夫人の車を先に行かせ、自分は曹操の前に立ちはだかります。
曹操はせめて餞別を受け取って欲しいと高価な着物を贈ろうとします。
関羽はそれを見て、少し考えた後、馬に乗ったまま堰月刀でひっかけて着物を受け取りその場を去るのです。

これを見た曹操の部下達は騒ぎ出します。
曹操からの贈り物を馬から降りもせず、刀でひっかけたのですから、無礼だというほかありません。
しかし曹操は、関羽は一人、曹操側は十数人、関羽が警戒するのも当然だといって部下達をいさめます。
そして関羽のような素晴らしい部下を持った劉備を心からうらやむのでした。

関羽はこうして許都を出ます。
そして袁州の領地にいる劉備の元まで向かうわけですが、これが長くて苦しい旅の始まりとなるのでした・・・。

こんなに想っているのに報われない・・・そんな曹操の切ない気持ちが伝わってきます。
しかし、こんなことは現代生活でもよくことあるでしょう。
そんな時あなただったらどうしますか?

■なんとしても自分の方を向かす。(しつこく追いかける。)
■さっさと諦める。(諦められるものなら)
■ひたすらただ想い続ける。(いつか自然に忘れるのを待つ。)

どれが正解なんでしょうね。
アタシには分かりません。

第36話へ飛ぶ
36~40へ飛ぶ

[ 2005/11/24 13:58 ] 三国志31~40 | TB(1) | CM(3)

三国志34 文醜を斬って劉玄徳の消息を知るの巻 

曹操は文醜の軍が黄河を渡ってきていることを知り、わざと非武装の車を連ねた兵糧部隊を出陣させました。
これを見た文醜は兵糧を奪う為にまんまと攻めてきました。
しかし、曹操はこれを予想して文醜軍を包囲していたのです。
しかもそこに関羽が現れました。
顔良と仲の良かった文醜は顔良の仇と関羽に討ってかかりますが、関羽にかなうはずがありません。
もちろん一撃でやられてしまいました。
こうして敵将の文醜がやられたことにより袁紹軍は崩れ、曹操軍はほぼ無傷で勝利することができたのです。

この報告を聞いた劉備は本当に文醜を討ったのが関羽かどうか確認しに行きます。
そして関羽の無事な姿を見て涙しますが、曹操がいるので近寄れません。
しょうがなく残った袁紹軍を率いて黄河を渡り、袁紹の元に戻るのです。

文醜が関羽に討たれたことを聞いた袁紹はまた劉備を疑い始めます。
しかし関羽が本物であったことを確認した劉備は、関羽に連絡を取り、自分が無事であることを知らせれば関羽は必ず駆けつけてくるに違いない・・・と言います。
関羽が自軍に加わる有利を考えた袁紹は早速劉備に関羽へ密書を送るようにいいます。
劉備は関羽に再会できる大義名分が通り、胸が躍るのでした。

そしてとうとう関羽に劉備の密書が届きました。
劉備が無事でいることを知った関羽は早速夫人二人と曹操の陣を出ることにするのですが、律儀な関羽は曹操に挨拶をしに行きます。
ところが曹操はこれを事前に察し、門に回避牌(ことわりふだ)を掲げるのです。

回避牌とは訪問客を断る時に門にかけておく札のことです。
この札がかかっている時はどのような大事な用があろうとも黙って帰るのが当時の礼儀とされていました。
曹操は関羽のきっと挨拶にくるであろう礼儀正しさを見抜いていて、それを逆手にとったのです。

しかし、それから毎日のように関羽は曹操を訪ねましたが、いつも門がかたく閉ざされ、その札が掲げてありました。
これではいつになっても挨拶ができません。
さて、関羽はどうするのでしょうか。
それはまた次回・・・。

劉備の夫人は劉備の居所が知れたのならさっさと逃げ出せばよい、挨拶なんかに行って曹操が簡単に行かせてくれるわけがない・・・と言ったのですがそれでもわざわざ挨拶にいく関羽の人柄が表れてします。
自分だったらどうしますか?
■そうは言っても曹操にはなんだかんだと良くしてもらったのだから挨拶していくのは当然だ。
■曹操に気付かれないうちにこっそりと出て行くべきでしょう。
■劉備の元に行ってもまた苦労するだけ。このまま曹操のところにいる方が・・・。

タイトルを書いてて気付いたのですが、顔良と文醜の字は不明ラシイ・・・。

第35話へ飛ぶ
[ 2005/11/23 12:24 ] 三国志31~40 | TB(0) | CM(5)

三国志33 関雲長 顔良を斬るの巻 

黄河を挟んで膠着状態にあった袁紹軍と曹操軍でしたが、とうとう決戦が始まりました。
関羽は手柄を立てようと曹操に戦に参加させてくれるよう頼みますが、関羽に手柄を立てさせたくない曹操は必要があったら呼ぶからと関羽を置いて出陣します。

しかし、袁紹軍の先鋒顔良は強く、曹操軍の武将は次々とやられ、あるいは撤退を余儀なくされ、曹操軍は総崩れとなります。
曹操の部下の程がここは関羽を使うしかないと進言しますが、関羽が去ることをおそれて曹操は反対します。
しかし程は、もし劉備が生きている場合に袁紹軍にいる可能性が高い、関羽を使って袁紹軍を討てば袁紹は劉備を疑って殺すにちがいないというので曹操は早速関羽を呼び寄せることにしました。

相変わらず、戦場では曹操軍が顔良にやられっぱなしでした。
そこへ現れた関羽・・・なんと一撃で顔良を倒したのです。
そして曹操軍の反撃が始まり、袁紹軍を追いやることに成功するのです。

曹操が関羽を呼んで褒め称えると関羽は、自分は弟の張飛に比べるとまだまだだ、張飛だったら百万の敵軍の中から大将の首を取ることなど、袋の中の物を取るがごとくであろう、と謙遜し、それを聞いた曹操軍の面々はよく知らぬ張飛に恐怖を覚えるのでした。
これがずっと後に大きな効果をもたらします。

そして袁紹軍では案の定劉備が疑われていました。
顔良を討ったのが劉備の弟の関羽だと聞いて、劉備が曹操と通じているにちがいないと袁紹は激怒していました。
怒りのあまりに劉備を打ち首にしようとし、これに対して劉備が必死に弁解します。
これはきっと曹操の策略にちがいない、袁紹と自分を仲たがいさせる為に関羽と似たような男を使ったのだ、弟の関羽とは徐州の戦で離れ離れになって以来、生死も分からない、内通などできるわけがないと・・・。
袁紹は相手に強く反論されるとすぐ自論を撤回するという育ちの良さ故の甘さもあり、すぐに怒りをとき、劉備を信じてしまいます。
こうして劉備は助かり、次に袁紹は文醜に10万の兵を与え、先鋒に出します。
そして劉備も顔良を討ったという男が本当に関羽であったのかどうか、確かめる為にそれについていくのです。

関羽の持っていた青龍堰月刀は長さは3メートル近くあり、重さは4、50キロあったとされています。
そんなもんを戦場で振り回す、2メートルを超す赤い顔の男・・・そりゃコワイです。
この間のK-1にも身長が2メートル以上の人がいて、関羽ってこんな感じだったのだろうかと思いました。
もし関羽がそばにいたら・・・
■とりあえず堰月刀は置いて欲しい。
■そのお髭を触ってみたい。
■2メートルの肩車をしてもらう。

第34話へ飛ぶ

[ 2005/11/22 12:41 ] 三国志31~40 | TB(0) | CM(4)

三国志32 曹孟徳の贈り物の巻 

曹操は関羽の心を自分に向けさせようと考えます。
そしてまず、関羽を帝に謁見させたのです。
かねてより、関羽の武勇の数々を耳にしていた献帝も大いにこれを喜び、曹操の進言によって関羽を偏将軍寿亭候に任命するのでした。

それから、曹操は関羽にたくさんの贈り物をしますが、関羽はこれを全て劉備の夫人にあげてしまいます。
それでも曹操は諦めず、今度は関羽の服が古くなっていることに目をつけ、高価な錦で作った上衣を贈ります。
すると関羽は曹操からもらった上衣の上に今まで着ていた古い服を重ねて着るではありませんか。
曹操が不信に思って聞くと、この服は劉備にもらったものでこれを着ていると劉備と一緒にいるような嬉しい気持ちになるのでこうしていつも着ているのだと答えるのです。

しかし、曹操はまだまだ諦めません。
ついに自分の愛馬を関羽に贈ります。
それを見た途端、関羽の目の色が変わりました。
そう、それはあの呂布の乗っていた赤兎馬だったのです。
何を贈っても、反応の薄い関羽がようやく関心を示したので内心曹操が喜んでいると、赤兎馬は一日千里を走るというから劉備の居所が知れた時にすぐ駆けつけることができる・・・という関羽の言葉にがっかりするのでした・・・。

関羽の心を計りかねた曹操は張遼に関羽の気持ちを探らせます。
すると関羽は曹操の温情には感謝しているが、手柄を立てて曹操に恩返しをしたらここを立ち去りたい、劉備がもし死んでいたら自分も死ぬまでだと答えるのです。
しかし、それを聞いた曹操は彼こそ天下の忠臣だ、とますます関羽に執着するのです。

その頃、小沛を逃げ出した劉備は袁紹の元に辿りついて、袁紹の食客となっていました。
劉備と関羽はそれぞれ、袁紹側、曹操側と離れたまま、袁紹対曹操の官渡の戦いの幕が開けるのです。

曹操が関羽に贈った贈り物の中に髭袋があったとされています。
関羽のながーい髭をカバーする為の袋だったとされているようですが、こんな贈り物をもらっても関羽にしか使えません。
きっと特注でしょう・・・(-_-;)

曹操が関羽に贈ったものはいろいろあったようですが、どれが一番欲しい?
■やっぱり金銀財宝
■関羽が手をつけなかったというよりすぐりの美女
■なんといっても赤兎馬

アタシとしては赤兎馬と言いたいところですが、もらっても置くところがないので、ここは曹操が作らせた錦の衣・・・しかも関羽の着用済み。
財宝と迷うところだ・・・。

第33話へ飛ぶ
[ 2005/11/21 12:12 ] 三国志31~40 | TB(0) | CM(5)

三国志31 関雲長の投降の巻 

曹操はまず、袁紹が攻めてきたので曹操軍の大半がそちらに移動したと嘘の情報を流し、関羽を下ヒ城から誘い出します。
ところが罠を張っておいて関羽を完全に包囲して退路を断った後、関羽と顔見知りの張遼を関羽の元に差し向けるのです。

関羽は曹操に騙されて誘い出されたことを察し、投降をすすめにきた張遼に自分には死ぬ覚悟ができているから帰るようにと言います。
それを聞いた張遼はそれでは関羽が三つの罪を犯すことになると言うのです。
その三つの罪とは・・・

一つ目はもし劉備が生きていた場合、生死を共にせんと桃園で交わした義兄弟の契りに背くことになる罪。
二つ目は劉備に家族を任されながら、これを敵中に放り出したまま死んでは主君の信頼に背くことになる罪。
三つ目は天下を憂い、漢王室を助けんと立ち上がりながら、いたずらに死地に赴くのは義に反する罪。

張遼はここはまず、曹操に下り、劉備の二人の夫人を守りながら劉備の消息を求めるべきではないかと説きます。
関羽は少し考え、そして曹操に投降するにあたっての三つの条件を出すのです。
その条件とは・・・

一つ目は関羽は曹操に降伏するのではなく、漢王朝に降伏するのだということ。
二つ目は劉備の二人の夫人の安全を約束すること。
三つ目は劉備の居所が分かり次第、劉備の元に馳せ参じるということ。
曹操は三つ目の条件にだけ異を唱えますが、張遼の曹操が劉備にも増して関羽を厚遇すればいい・・・という言葉に動かされ、これを了承します。

こうして関羽は曹操の家臣となりました。
桃園三兄弟はみんなバラバラとなってしまいました。
次回は曹操が関羽の心を自分に向けようとしてあれこれ心を砕きます。
さて、関羽の心はいかに?

■劉備との誓いがあるので、劉備の為にこれからも生きる。
■曹操の方が天下統一に近そうだし(どう見ても)、曹操が優遇してくれるなら曹操と共に生きる。
■誓いとか待遇とかは関係なく、ただ劉備を愛してしまっている・・・。
いや、絶対三番目だと思うのはアタシだけではないと思うのですが・・・。

第32話へ飛ぶ
[ 2005/11/20 12:25 ] 三国志31~40 | TB(0) | CM(3)

三国志30 孤立した劉玄徳の巻 

曹操が大軍で攻めてきたという報告を聞いて、劉備は袁紹に援軍を求めます。
袁紹の部下の田豊(でんぽう)も曹操が劉備討伐のために許都を空にしている今が曹操を倒す絶好の機会だと説きます。
しかし、袁紹は子どもが病気なのが心配で軍を出せないと言うのです

さて、困ったのは劉備です。
袁紹の援軍は期待できなくなりました。
単独で曹操の大軍に立ち向かわなくてはいけません。
そこで張飛が曹操軍が遠征してきて疲れて休んでいる夜を狙おうと夜討ちを思いつき、劉備もそれに賛成します。

その頃曹操軍は小沛の近くまで進軍してきていました。
その時、突風がふいて曹操の『曹』の字のついた大将旗が折れてしまうのです。
曹操は嫌な予感がし、荀に吉凶を占わせました。
すると荀はこれを夜討ちの兆しであると読むのです。

そして夜・・・何も知らない劉備軍が夜討ちを仕掛けます。
ところが曹操軍の陣はもぬけの殻です。
劉備が不安にとりつかれたその瞬間、東から張遼、西から許チョ、南から干禁、北から李典、東南からは徐晃、西南から楽進、東北から夏侯惇、西北からは夏候淵・・・ものの見事に八方から挟み撃ちにあったのです。
劉備は張飛ともはぐれ、逃走。
こうして曹操は勢いにのり、小沛だけでなく一気に徐州城までも手に入れたのでした。

ところがあと一つ、下ヒ城にはまだ関羽が立て籠もっていました。
あの関羽が相手ですから、そう簡単に城が落とせるとは思えません。
しかしあまり長い間許都を留守にしていると今度は袁紹が後ろから攻めてくるかもしれません。
曹操は関羽を投降させることを考えます。
彼は以前から関羽の武術の腕と義に厚い人柄に惚れ、自分の部下にしたいと考えていたのです。
しかし、関羽が簡単に投降するとも思えません。
さて、曹操はどうするのでしょう・・・?
それはまた次回・・・。

やっぱり劉備は簡単に負けてしまいました。
困ったのは劉備の家族を任されて、下ヒ城に立て籠もっている関羽です。
劉備の夫人達がいるので、そう簡単に逃げるわけにもいきません。
まぁ、義に厚い関羽のことですから、逃げるくらいなら城と共に死ぬくらいの気持ちでしょう。
でも自分だったらどうする?
■死を決して最後まで曹操と戦う。
■どうせ勝ち目はないからさっさと曹操に投降する。
■いちかばちか、劉備の夫人達を連れて逃げる。
■夫人達を連れていては足手まといになるから自分だけ逃げる。

第31話へ飛ぶ
31~35へ飛ぶ

[ 2005/11/19 13:17 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(3)

三国志29 曹孟徳の暗殺を謀るの巻 

董承を覚えていますか?
三国志はなんだか同じ姓やら似たような名前やらでわかりづらいですが、25話で曹操打倒の連判状を作った人物です。
娘の董貴妃が献帝の側室であったため、献帝から曹操を討てとの密書をもらった董承でしたが、なかなか事を成し遂げられないので悩んでいました。
それを董承の主治医であった吉平に気付かれてしまうのです。
董承は最初はとぼけるのですが、吉平が自分を信じて欲しいと自分の小指を噛み千切って誠意を見せるとようやく彼に、献帝から届いた密書と連判状を見せるのでした。
そして吉平もそれに署名します。
そして自分に任せてくれないかと言い出します。
吉平は曹操の主治医でもあったのです。
曹操は頭痛持ちで頭が痛くなる度に吉平を呼んで薬を出させるので、吉平はその中に毒を盛ろうと考えたのです。
董承は喜び、彼に任せることにしました。

ところがその夜、董承の屋敷で事件が起こりました。
下僕の一人が董承の妾に手を出していたことが発覚したのです。
激怒した董承は下僕に棒打ちの刑を与え、空き部屋に閉じ込めました。
ところが、この下僕はその夜のうちに塀を乗り越えて逃走します。
これが後に大変な結果をもたらします。

そして数日後、とうとう曹操に吉平が呼ばれ、薬を調合していました。
するとふと曹操が吉平にその薬を飲んでみろと言い出すではありませんか。
吉平の企みは曹操に露見していたのです。
曹操はそのまま董承の屋敷に乗り込みます。
董承はとぼけますが、曹操は証人だと言って一人の男を連れてきます。
それがあの董承の元下僕だったのです。
董承に恨みを抱いた下僕は董承の屋敷で見聞きしたことを全て曹操に告げてしまったのです。
董承の屋敷からはあの密書と連判状も見つけられてしまいました。

こうして曹操暗殺を企てた董承たちは一人残らず処刑されてしまいました。
それでも曹操の怒りは収まらず、董承の娘で帝の側室であった董貴妃も絞首にしてしまったのです。
彼女は帝の子をお腹に宿し、妊娠五ヶ月の身でありました。
そしてさらに董承らの一族郎党、全てことごとく処刑され、その数七百余人にのぼったとされています。

そして曹操の怒りは連判状に署名していた劉備にも向けられました。
次回は曹操が二十万の大軍を率いて、劉備を攻めてきます。
またまた劉備の大ピンチです。

曹操の残虐なシーンがまた出てきてしまいました。
これは後々の禍根を断つ為だと思うのですが、個人的にはお腹の子どもは助けてあげて欲しかったなと思います。
ただ、その子が大きくなったときに自分の母親が曹操に殺された・・・と知ったらやっぱり恨みを抱いてしまうでしょうね。

献帝から受け取った密書を董承は服に縫い付けてたとか、冠の中に隠していたとかいろいろな説があります。
さて、自分ならどこに隠しますか?
■下着の中
■床下
■手紙の束の中
あなたのへそくりの隠し場所はずばりソコですね?

第30話へ飛ぶ
[ 2005/11/18 11:33 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(5)

三国志28 劉玄徳の危機の巻 

関羽と張飛が車冑を殺したことを知った劉備は愕然とします。
これまで畑仕事をしたり、雷に驚いてみせて曹操を油断させようとしてきたことが無駄になってしまったのです。
しかも劉備軍の準備は万全ではありません。
そんな時に曹操が攻めてきたらひとたまりもないでしょう。
そこで劉備は陳登の紹介で袁紹と顔見知りの人望のある人物を紹介してもらいます。
そしてその人物に袁紹に曹操討伐に軍を出してくれるように手紙を書いてもらったのです。

袁紹は迷いますが、たまたま公孫サン(5話で出てきた劉備の先輩)を倒したばかりということもあって波に乗っていました。
その勢いで顔良・文醜の両名を将軍として三十万の兵を曹操討伐に差し向けたのです。

これが三国志の中でも大きな戦いの一つ、官渡の戦いの始まりとなるわけですが、この顔良たちが曹操軍とぶつかるのはまだまだ先の話。
その前に劉備に危機が迫っていました。
曹操はそれよりもまず車冑を殺した劉備達を倒そうと考えたのです。

曹操はすぐ部下二人に五万の兵を率いて、劉備討伐に出陣させました。
しかし、関羽・張飛の前にこの二人は敵ではなく、すぐに生け捕りにされてしまったのです。
処刑を覚悟した部下達でしたが、意外にも劉備はこの二人をもてなしました。
そして、自分には曹操に謀反を起こす気はない、車冑を討ったのは自分を殺そうとしたからだ、曹操にそう伝えてくれと二人を釈放したのです。

部下たちが負けた上に敵に恩を受け、しかも劉備のことをやたら褒めたものだから曹操は激怒します。
今度は自ら劉備を倒しにいこうとしますが、それでは後ろから袁紹に狙われるという荀の献策に従い、まずは袁紹軍と黄河をはさんで干禁・李典・曹仁らを駐留させるのでした。

一方劉備は曹操の攻撃に備え、自分の家族を下ヒ城に移して関羽に守らせ、徐州城の守備は孫乾らに、自らは張飛と共に小沛に立て籠もりました。
そして戦況は膠着状態のまま時が流れます。
しかしついに次回、許都で事件が起こるのです。

今回はタイトルを劉玄徳の危機とつけましたが、この人はいつだって危機です。
いつも兵力が少なく大敵(ほとんどの場合曹操)に直面して危うい状況にいるような気がします。
またこのタイトルが出てきたらスミマセン。
もし出てきたら・・・

■『劉玄徳の危機 その2 の巻』にする。
■『劉玄徳 今度こそ本当に危機 の巻』にする。
■『劉玄徳 本当に本当に絶対絶命!ヤバイょ、大変! の巻』にする。

第29話へ飛ぶ
[ 2005/11/17 12:37 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(2)

三国志27 袁公路死すの巻 

皆さん、コンバンハ♪
息切れ長距離ランナーのアタクシですが、ここは一つずつコツコツとゴールに向かって進んでいきたいと思います。
やっぱり大事なのは継続ですね♪

さてさて、劉備は袁紹と合流しようとしている袁術を討つ・・・という名目で曹操に兵を借りてやってきました。
袁術は自ら皇帝を名乗った後、贅沢三昧の酒池肉林に溺れ、そのために重税を課せられた民衆達の生活は苦しくなるばかりでした。
耐え切れなくなった人々は袁術の領土から次々と逃げ出した為、袁術の力が弱り、それで従兄(義兄)の袁紹に助けを求めたのです。
玉璽を譲り、皇位を返上したいという袁術からの手紙を受け取った袁紹はこれを快諾し、袁術は早速袁紹の元を目指して大移動を始めたのです。
これは調度品だけで数百両、その後ろに一族・女官達の乗る馬車や兵士たちの列が延々数百里にも及ぶ前代身門の大行列だったといいます。
劉備はここを攻め、袁術軍は総崩れになり、逃げ出します。
しかし、逃げた先ですぐ兵糧不足になり、人々は餓死、とうとう袁術も血を吐いて死ぬのでした。(あっけない・・・)

劉備は袁術を倒した後、徐州へ向かっていました。
しかし、そこには曹操の部下の車冑もいたのです。
曹操は車冑に劉備を討つようにと密書を送っていました。
しかしそれに気付いた者がいました。
22話に出てきた陳登です。
陳登は劉備より一足先に徐州に着いた関羽・張飛に車冑が劉備を殺そうとしていることを伝えます。
関羽は自分達の率いている軍が曹操から借りた軍であった為、これを使って車冑を討つことを考えます。

城に入るのを夜になるまで待ち、暗くなってから味方の軍だから門を開けるようにと言います。
車冑はあやしみますが、『曹』の字のついた旗を見て、味方だと信じ、門を開けます。
そこから関羽と張飛が攻め込み、あっという間に車冑を殺し、徐州を奪いとることに成功するのです。

関羽・張飛が曹操の部下の車冑を殺してしまったことで、劉備は曹操と対決せざるをえなくなってしまいました。
しかしまだまだ劉備には曹操と戦える力などないのです・・・。

劉備に対するご意見をどうぞ。
■劉備もさっさと覚悟を決めて曹操と戦えばいいのに・・・。
■今戦ったって負けるだけだ。ここは曹操に許しを請うしかない。
■もうこれは・・・逃げるしかないっ!

第28話へ飛ぶ
[ 2005/11/16 21:53 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(3)

三国志26 曹孟徳 英雄を語るの巻 

劉備は連判状のことがバレたのではないかとヒヤヒヤしながらも曹操と酒を飲んでいました。
すると曹操が
「玄徳殿(劉備の字)は久しく各地を見てきた身の上、さぞかし当世の英雄をご存知であろう」
と聞きます。
・・・ここからは会話形式でどうぞ。

劉備「わたくしのような未熟者に英雄が誰かなど見抜く力はございません。」
曹操「世評でもかまわぬ。」
劉備「それなら袁術が自ら皇帝と名乗るほどですから英雄の一人ではないかと・・・。」
曹操「袁術などいずれこの曹操が倒してやる。」
劉備「ならば、袁術の従兄の袁紹はどうでしょう。」
曹操「袁紹など決断力のない小心者よ。英雄でもなんでもない。」
劉備「それならば孫策は・・・?」
曹操「彼はまだまだ親の七光りをかさに来ている子どもだ。」

劉備は次々と英雄の名をあげていきますが、全て曹操に否定されます。

曹操「玄徳殿・・・英雄とは大志を心に抱き、良計を携え、天下を我がものにせんと狙っている者のことだ。」
劉備「・・・・・。」
曹操「それは玄徳殿、貴殿とわたしだ。」

劉備はそう言われた時、動揺して思わず箸を落としてしまいます。
その時ちょうど雷が鳴ります。
劉備は咄嗟に悲鳴をあげ、卓の下に隠れました。

曹操「いかがした?」
劉備「面目ない・・・私は雷が苦手で・・・。」
曹操「・・・・英雄がなんと情けない・・・。」

こうして劉備は気持ちを見抜かれ、動揺して箸を落としたことをなんとかごまかしたのでした。
しかし、このまま曹操の元にいては曹操の目が光っていて何もできない。
そう考えた劉備は袁術が袁紹と合流しようとしてるのを徐州で阻止したい・・・と理由をつけて曹操に軍を借り、許都を抜け出すことに成功するのです。

いつも読んでくださってる皆様、コンバンハ。
さてさて、これを書き始めた頃は30~40話くらいで完結・・・のペースで始めたはずなんですが、そろそろ30が近くなってきたというのに一向に終わる気配がありません。
なんだか40話でも終わらなそうなのは気のせいでしょうか?
あまりにも遠く、先の見えないゴールに最近ちょっと息切れしてきてしまっている毎日です。
こんなアタシに励ましの言葉をお願いします。

■頑張れー!
■ファイトー♪
■よっ!男前!!いやいや、嬉しくナイッテバ・・・。
■目指せ!三国統一!...( = =) マダマダサキハトオイ・・・

第27話へ飛ぶ
[ 2005/11/15 23:59 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(5)

三国志25 劉玄徳 献帝に拝謁の巻 

曹操は徐州を部下の車冑に任せ、劉備を一緒に許都に凱旋させました。
これには劉備達を許都に閉じ込めて徐州も自分のものにするというねらいがあったのです。
しかし劉備も、帝を擁している曹操には逆らうことができず、おとなしく許都に付いていき、そして初めて献帝に謁見します。

劉備は献帝に問われるまま、自分が景帝第七子の末裔であると説明します。
献帝は皇室の系図を取り寄せ、臣下に命じて確認させました。
周りの人々は驚きました。
劉備が帝の親戚だとは知らなかったのです。
(以前にその話が出てきた三話はこちら)
献帝も劉備は叔父にあたるから劉備のことを劉皇叔と呼ぶようにと周りに伝え、毎日のように劉備を側に呼ぶようになったのでした。

これを気に入らなかったのが曹操でした。
曹操は帝を狩りに招きました。
しかし、献帝はなかなか獲物を射止められません。
それを見ていた曹操が帝の弓を奪ってその獲物を射止めたのです。
これは帝に対しての侮辱でした。
関羽が咄嗟に曹操に向かって剣を抜きかけますが、それを劉備が止め、その場は収まるのでした。

曹操の横暴な振るまいに危機を感じ始めた帝は妻の叔父である董承に曹操を討つよう密書を送ります。
董承は早速西涼の太守の馬騰をはじめ、信用できる人物達と曹操打倒の連判状を作成し始めました。
そして狩りでの一件で曹操に不信感を抱き始めた劉備もその連判状に署名するのです。

次の日から劉備は畑仕事を始めました。
これは自分の野心を曹操の目からごまかすための演技だったのです。
しかし、すぐに曹操から話があると呼び出しがかかります。
劉備は連判状の件がバレたのではないかと心配しつつ、曹操の元に向かうのでした・・・。

いよいよ曹操対劉備の絵ができてきました。
いつまでも仲良くしてたんでは『三国』になりませんからね。
次回は曹操に呼び出された劉備、さて曹操の話とは・・・?

■連判状のことが即バレで問い詰められる。
■ただ呼んだだけ・・・で世間話。
■なにげに愛の告白を受ける(*/∇\*)キャ
しかし、いきなり畑仕事なんかしだしたら余計アヤシイ・・・。

第26話へ飛ぶ
26~30に飛ぶ
[ 2005/11/15 13:08 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(2)

三国志24 呂奉先の最期の巻 

下ヒ城は内外ともに水浸しになりました。
そして呂布はふと水面に映った自分の顔に気がつきます。
あまりにも目がくぼみ、精気を失くしたその顔を見て、このままではいけないとやっと気付き、自分も含め城内に酒禁止令をだすのです。

ところが部下の中に呂布の馬を盗み、それを手土産に曹操軍に寝返ろうとしたものがいました。
別の部下がそれを見つけ馬を取り返して城に戻ると、それを聞いた諸将たちが酒を持って祝いにきました。
しかし馬を取り返した部下は禁酒令のことが気にかかり、呂布のもとに報告しにいくと、呂布は酒を禁じたはずだと言ってその部下を棒叩き50回の計にしてしまったのです。
そしてその部下はそれが原因で呂布に恨みを抱き、仲間と一緒に馬を連れ曹操に寝返ってしまいました。

曹操はいよいよ総攻撃をかけました。
夜明けから始まった攻撃はいつのまにか夕陽が落ちようとしていました。
朝から戦い詰めだった呂布もさすがに疲れ、いすに座るとすぐに深い眠りについてしまいました。
すると部下の宋憲が呂布をそのまま縄で縛ってしまったのです。
すぐに白旗が振られ、下ヒ城はあっという間に曹操の手に落ちました。

呂布とともに捕らえられた陳宮は即斬首にされました。
そして曹操の前に引き出された呂布は、自分は曹操に役立つことができる。曹操が大将、呂布が副将となれば天下は思いのままだと言い出します。
曹操が劉備に意見を聞くと劉備は、呂布は養父丁原と董卓をも殺した男なのだ、と改めて呂布を助けることへの危険性を説きます。
こうして呂布も斬首となりました。
三国志一最強の武将であり、裏切りの連続で乱世を生き抜いてきた呂布でしたが、皮肉も部下の裏切りにあってその生涯を終えたのです。

こうして呂布を討った曹操と劉備でしたが、共通の敵がいなくなれば、敵対しだす・・・というのが世のならいですね。
次回は少しずつそれが見え始めてきます。

呂布の愛馬は赤兎馬といわれ、赤くて大きな馬でした。
一日に千里走ったと言われる名馬です。
この赤兎馬、後にまた出てくる・・・予定です。

今回の感想をドウゾ。
■やっぱり仲間や部下は大事にしなければいけないねぇ。
■劉備、虫も殺さぬ人の良さそうなふりして、言う時は言うのね?
■呂布が死んでしまったことがひたすら悲しくて食事も喉を通りません・・・。

第25話へ飛ぶ

[ 2005/11/14 19:43 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(3)

三国志23 呂奉先の苦難の巻 

曹操は下ヒ攻略へ向かい、下ヒ城の正面に陣を張りました。
陳宮が呂布に外に出てもらい、城内の陳宮と二手に別れ、曹操を挟み撃ちにしながら敵の兵糧が底をつくのを待つという作戦を持ちかけます。
呂布はそれに賛成し、戦の準備をしているとこれを止めた人がいます。
それが呂布の奥さんでした。
奥さんに、陳親子に裏切られてもう呂布以外に信じられる人がいない、お願いだから城の外に出ないでくれ、と泣きつかれ、呂布は戦に出ることをやめてしまうのです。(呂布って愛妻家?それとも恐妻家??)
陳宮はそれを知って、命運がつきたと悟ります。

呂布は袁術との縁談の話を思い出し、縁談をまとめて援軍を頼むことを思いつき、使者を出します。
しかし袁術は一回呂布には縁談を反故にされているから信用できない、援軍を送って欲しければ娘を先にこちらによこせと言います。
ところが使者がその報告を持って帰る途中、使者うちの一人がたまたま張飛に捕まってしまいます。
当然袁術との縁談&援軍の話も曹操に漏れ、城の出入りができないよう、周りの警備は一層強固になるのです。

そんな中、呂布は娘を袁術のところまで送り届けなければなりません。
曹操軍の包囲網は厳重でそれを突破できる可能性があるのは呂布くらいしか考えられません。
それで呂布自らが娘を背負って包囲網を突破しようとします。
しかし、待ち構えていた張飛に邪魔をされ、結局袁術の元までいくことができないで戻ったのでした。

それからというもの、呂布は城の外へ出ようとはせず、酒で不安を紛らわせる日々を送り始めました。
これに困ったのが曹操です。
戦が長引いては逆にこちらが兵糧不足になります。
そこで郭嘉の案で下ヒ城のそばの川を決壊させたのです。
下ヒ城はたちまち濁流であふれ、城の内外が水浸しになりました。
しかしそれでも呂布は酒を飲むばかりなのでした・・・。

呂布の命運もいよいよ尽きてきました。

北方三国志には貂蝉は出てこないのですが、呂布がベタ惚れしている奥さんが出てきます。おそらく呂布という人はとても愛妻家であったのかもしれません。
呂布の奥さんに関するエピソードは他にもあります。
呂布への城攻めに対し、関羽が呂布を倒したら呂布の妻を嫁に欲しいと曹操に頼み、関羽がそんなにいうならどんな美人かと曹操が見てみたら本当に美人だったので自分が嫁にしてしまった・・・とか・・・。
他にも曹操が劉備三兄弟の仲を引き裂く為に関羽にその妻を与えたが、関羽が美人は我が身を滅ぼすと斬り殺してしまった・・・とか。
個人的にはあまり関羽に女性関係の話は出てきて欲しくありません。

さて、自分が呂布だったら・・・?
■奥さんが止めても男には戦わなければならない時があるのだ。
■陳宮が外に出て行けばイイジャン。(陳宮ではやられてしまうかもしれないケド。)
■奥さんも連れてって一緒に戦う。(案外戦力になるかも?)

第24話へ飛ぶ

[ 2005/11/12 22:30 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(7)

三国志22 陳親子の策略の巻 

今回は私の文章力ではちょっと説明しにくい場面です。
わかりにくいところもあるかと思いますが、なんとか想像しながら読んでください。

呂布の部下に陳珪と陳登という親子がいました。
しかし、この二人は曹操に通じていたのです。

陳登は呂布に、曹操に攻め込まれて蕭関を守っている陳宮が城を明け渡しそうだと報告し、早く応援にいくようにと提案します。
そして自分は先に蕭関に戻って戦の準備をしておく、戦いが始まったら狼煙で合図をすると告げます。

そして呂布に先立って蕭関へ行き、陳宮に曹操が徐州城を攻めているからこちらから出て挟み撃ちにするようにと告げます。
陳宮が軍を率いて出て行ったところで、狼煙をあげます。
それを見た呂布軍、戦闘開始の合図だと思い、向こうからやってくる軍を曹操軍だと思い戦い始めるのです。
陳宮も同じでした。
向こうから攻めてくる軍が曹操が寄こした軍だと思い反撃し始めるのです。
それが夜だったものですから味方なのに味方だと気付かないのです。
そしてさんざん戦った後で同士討ちをしてしまったことに気付くのです。

同士討ちをしてしまった呂布が徐州城へ戻るとそこには陳珪が城門を閉ざしており、この城は劉備のもので呂布のものではない、と呂布を締め出します。
しょうがないので呂布が小沛に戻ろうとすると小沛を守っていたはずの部下が戻ってきており、陳登が呂布将軍が危ないので応援に行けというのでやってきたというではありませんか。

案の城小沛は陳登が占領していました。
その上そこに陳登の連絡を受けて曹操が劉備と大軍を率いてやってきます。
さらに行方不明になっていた関羽と張飛まで軍をひいて応援に駆けつけるではありませんか。
呂布は陳宮ら、わずかに残った部下たちと下ヒ(かひ)目指して逃げていきました。

こうして劉備は陳親子のおかげでほとんど戦わずして徐州を奪還し、家族と再会しました。
曹操は陳珪と陳登に勲功を与えました。

次回は曹操の下ヒ攻略戦です。
三国志一最強と思われる呂布ですが、さらに苦難が待ち受けます。

なんとか理解していただけたでしょうか?
文章にするのが難しいシーンでした(;´Д`A ```
■なんとなく分かった。
■わっかんねーょ!
ごめんなさーいε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘逃走っ!

第23話へ飛ぶ

[ 2005/11/12 12:27 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(3)

三国志21 劉玄徳小沛脱出の巻 

曹操に関する有名なエピソードがあります。
曹操が張繍を攻めに行った時のことです。(この戦いについては触れませんので詳しく知りたい方はこちら)
道中の百姓たちが軍勢を恐れて麦の刈り取りを放り出して逃げていたので、曹操は一歩でも麦を踏みつける兵がいればこれを厳しく斬首に処す、よって百姓たちは刈り取りを続けるように・・・という触れを出します。

しかし、あろうことか、曹操の乗っていた馬が突然暴れだし、麦畑に入って麦を踏みつけてしまったのです。
曹操は自分で決めた法を遵守するために自ら死罪を受けようとします。
しかし、郭嘉が
「『春秋』に法は尊き者に加えずという言葉があります。主公は大軍を統率する身、民衆も許してくれるでしょう。」
といって止めます。
しかし曹操はそれでは示しがつかないと自分の首の代わりに髪を切り落とします。
当時冠をかぶる為の長さの髪が必要だった後漢末期、髪を切るということは重罪を受けるに等しいことでした。

さて、話は戻ります。
小沛では事件が起こっていました。
劉備が曹操に向けて書いた『呂布討伐に参戦する』といった内容の手紙持った使者が途中で呂布の部下に捕まってしまい、それが呂布の手に渡ってしまったのです。
それを読んだ呂布は怒り、すぐさま小沛を攻めてきます。
曹操もそれを知りただちに援軍を送りますが、小さな小沛はあっという間に呂布の手に落ち、劉備は関羽たちともはなればなれになってしまい、家族もおいてただ一騎となって曹操の元まで逃げのびてゆくのです。
曹操は劉備の報告を聞くと、小沛を奪い返すべく劉備とともに出陣するのでした。

次回は呂布軍の中にいた陳親子が呂布から徐州も小沛も騙し取る話です。

曹操が髪を切ったことに対して、後世の詩人は曹操の話術深し・・・と綴っています。
さてあなたの意見はどれ?

■髪を切って免れるとはさすが曹操うまく切り抜けたな・・・。
■曹操は権力者だから当然法を守る必要はない。
■自分で決めた法なんだから守るべき。
しかしここで曹操が死んでは三国志の話が進みません。

第22話へ飛ぶ

[ 2005/11/11 21:38 ] 三国志21~30 | TB(0) | CM(5)

三国志20 袁公路討伐の巻 

曹操は早速帝に上奏し、孫策を会稽の太守に封じて袁術討伐の軍を出すように詔を出させます。
そこで孫策も孫策軍は南から北上するから、曹操には北から南征してきてもらい、南北から挟み撃ちにするように頼みます。
曹操は呂布と劉備にも軍を出すように使者を出し、四方から計三十万の大軍で袁術軍を取り囲みます。

しかし、袁術は城に立て籠もったまま一歩も討って出てこようとはしませんでした。
持久戦に持ち込み、曹操軍が疲弊したところでこれを討つ・・・袁術はそう考えていたのです。
この作戦は功を奏し、曹操軍は兵の疲労だけでなく、兵糧がどんどん乏しくなり、兵たちの間から不満が出始めてきました。
兵糧は遠征軍の弱点だったのです。

そこで曹操はいつも食事の量を測る枡を一回り小さくしました。
当然兵たちの間には不満が高まります。
すると曹操は兵糧を管理する兵糧倉官に
「お前の妻子の面倒は一生この曹操が見てやる。我が軍の統制のために死んでくれ。」
と殺してしまいます。
そしてその首をさらし、そいつが食糧をごまかしていたと兵たちの曹操への不満をそらすことに成功するのです。

しかし、少しの間ごまかせたところで兵糧が足りないことにはちがいありません。
曹操はこれ以上長引かせることはできないと、総攻撃して三日以内に城を落とすように命じます。
しかし袁術側の反撃に兵たちはなかなか前へ進めません。
そこで曹操が自ら危険をかえりみず先陣をきって城に攻め入り、その姿を見た兵たちの士気も盛り上がり、ついで呂布・劉備軍もなだれ込んできたため、大乱戦となりました。
ほどなく、城は陥ちましたが、袁術は逃げてしまいました。
本来なら追い討ちをかけるところですが、なんといっても兵糧が少ない曹操、とりあえず兵をひきあげることにします。
そして劉備に小沛へ戻るように言います。
いずれ呂布を討つには劉備に小沛にいてもらった方がいいと考えたのです。
こうして劉備はまた小沛に戻ることになりました。
しかし、すぐまた小沛を追われることになるのです。

曹操は残酷ですが、曹操に限らず三国志には多くのものを守るために一人の命を厭わない・・・という出来事が多く出てきます。
その残酷さも上にたつ者にとっては必要な資質の一つなのかもしれません。

今回の話を読んで一番疑問に思ったことは?

■やはり曹操はまちがっている。命より大事なものなんてあるのか!
■劉備が小沛に戻るのに呂布は何も言わないのか?(曹操が呂布をうまくいいくるめた・・・ラシイ)
■孫策どこいった??(どうやら孫策の到着を待たずに曹操は攻撃を仕掛けたようです。)

第21話へ飛ぶ
21~25に飛ぶ
[ 2005/11/11 10:31 ] 三国志11~20 | TB(1) | CM(2)

三国志19 袁公路 帝位簒奪の巻 

ある日突然、劉備が住む小沛にいきなり呂布が攻めてきました。
劉備が不思議に思っていると、張飛が呂布の元から大量の馬を盗んできたのだと白状するではありませんか・・・。
劉備が馬を集めていたので、協力しようと思ったようなのですが・・・。
劉備は慌てて呂布に馬を返すから兵をひいてくれるように頼みますが、呂布はとりあわず、結局戦いになってしまいます。
小さな小沛では呂布軍を防ぐことができず、劉備たちは小沛を捨てて、逃亡します。

劉備が頼ったのはあの曹操の元でした。
曹操軍では劉備の処遇についていろいろな意見がでますが、曹操は帝に上奏して、劉備をヨ州の太守に推挙し、兵と兵糧を与え、任地に向かわせたのでした。

その頃・・・袁術は伝国の玉璽を手にしていることを理由に自ら皇帝を名乗り、年号を定めて朝廷の諸官を設けていました。
つまり、献帝を退け、帝位を簒奪したことになります。
そして袁術は呂布が縁談の返事をよこさないのを理由に先々で略奪を繰り返しながら破竹の勢いで徐州へ攻めてきます。
しかし、呂布は袁術軍の将軍を味方に引き入れ、袁術軍の内部から撹乱させたのです。
袁術軍は総崩れ、しかも呂布が劉備に援軍を頼んでおいたおかげで(なんで劉備がここで呂布に協力したのか謎だ・・・。人が良すぎる。)関羽が軍を率いて駆けつけてきたのです。
当然呂布軍の圧勝に終わりました。
負けた袁術は孫策に軍勢の協力を申し出ますが、断られます。
それを聞いた曹操は今が袁術討伐の絶好の好機であると考えるのでした。

次回は袁術討伐連合軍ができあがります。

何故劉備は自分を小沛から追い出した呂布に援軍を送ったのでしょうか?
■そんな小さなことよりも袁術を討つことの方が重要だから。
■頼まれると断れないただのお人良し。

どっちも合ってる気もする・・・(-_-;)

第20話へ飛ぶ

[ 2005/11/10 21:42 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

三国志18 呂奉先の采配の巻 

今回からまた劉備の話に戻ります。

劉備が小沛に住むようになり、平和な日々もつかの間でした。
袁術が攻めてきたのです。
軍も兵糧も少ない劉備は徐州の呂布に援軍を頼みました。
しかし呂布の元には袁術から金銀兵糧が送られてきていたのです。

さて、ここで呂布はどういう行動をとるでしょう?
1.劉備に味方する。
2.袁術に味方する。
3.戦わない。

それでは続きをどうぞ。

呂布は国境で陣を張る袁術軍大将の紀霊と劉備の双方に自分の陣に来てくれるように伝書を送りました。
呂布の陣で出会った二人はお互い敵だと分かるとすぐさま剣を抜き、その場は一瞬にして緊張感に包まれました。
しかし、呂布が二人をここに呼んだのは二人の仲を取り持つためだと言い出すではありませんか。
ですが、紀霊も袁術の命を受け十万の兵を率いて来ている身、そう簡単に兵などひけません。
すると呂布があの的を一矢で射当てたらお互い天の声だと思って兵をひけといいます。
その的があまりにも遠かったので誰もが無理だと思いました。
しかし、呂布は見事に一発でこれを当てたのです。
双方恨みのない呂布の見事な采配でした。

しかし、そんなことで安々と引き下がる袁術ではありません。
今度は呂布の娘に(あれだけ貂蝉に惚れていても別に奥さんがいたのですねー。男ってそんなもの?)縁組の申し込みをしてきました。
しかし呂布はこれを警戒してあれこれ理由をつけては縁組を引き伸ばすのでした。

次回はまたまた張飛が問題を起こします。

↓あなたなら?

■妻・夫・恋人などの決まった相手がいても別の人を好きになることもある・・・かもしれない。
■一人好きな人がいたら他の人なんて絶対考えられない!

第19話へ飛ぶ

[ 2005/11/10 10:49 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

第一回 三国志人気投票♪ 

これまで出てきている人物の中で人気投票を行います。
まだ登場していない人物はいません。
一人一日一票までです。
次回の投票には是非この人を!という新しい人物のご希望があったら受け付けます。
今回出てきている人は人気があった人物のみ次回の投票に残ります。
どなたでも参加どうぞ♪
好きな人物にチェックを入れてコメントがあったらコメント入れて(なくても可)で投票ボタンでGO!
結果はその下の結果というところから見れます。




質問 第一回 三国志人気投票♪


劉備

関羽

張飛

王允

貂蝉

曹操

呂布

陳宮

陶謙

孫堅

孫策

袁術

周瑜

郭嘉

荀






コメント







- アクセス解析 -






結果


過去の投票


FC2ID






[ 2005/11/09 13:48 ] 三国志人気投票 | TB(0) | CM(8)

三国志17 小覇王の初陣の巻 

揚州での孫策の戦いは圧倒的に不利かと思われました。
敵の劉ヨウ軍が出てきて大軍で待ち伏せており、それにひきかえ孫策軍はたったの三千だったのです。
当然苦戦していた時、ふと敵の背後から火の手が上がりました。
敵軍の中に若き孫策に共鳴する反乱兵が出たのです。
それで勝負はあっけなくつきました。
孫策はこの戦いで、投降した兵四千と大量の武器・兵糧を手に入れ、さらに敵地深く軍をすすめていったのです。

劉ヨウが張っている陣を孫策が偵察していた時のことでした。
いきなり孫策に斬りかかってくる男がいました。
それが太史慈でした。
孫策は太史慈といきなり一騎打ちになったものの、これは結局勝負がつかずに終わり、その後彼は孫策が劉ヨウ軍を倒した後でも城に立てこもり、孫策軍に抵抗を続けたのです。

孫策は太史慈がこもってる城に総攻撃を仕掛け、罠を仕掛けて彼を生け捕りにしました。
そして自分の部下になるように説得するのでした。
最初は拒否していた太史慈も孫策の暖かい言葉に孫策軍に入ることに納得し、自分にしばしの間、時間をくれれば劉ヨウ軍の中のすぐれた武将達を連れて来ると言い出しました。
孫策はこれを信じ、太史慈を行かせます。
しかし、彼はなかなか帰ってこず、孫策の部下達がこれをあやしみ、逃げたのでは・・・と騒ぎ出した頃、太史慈がたくさんの軍勢を連れて戻ってきたのです。
太史慈を信じた孫策も大物なら約束を果たして返ってきた太史慈も大物でした。
これ以降、太史慈は孫一門の片腕となって大活躍し、江東一帯を次々と平定していったのです。

江東というのは中国の東の方、いずれ呉となる辺りですね。
江東には『江東の花の二喬』と呼ばれる美人姉妹がいました。
姉の大喬は孫策に、妹の小喬は周瑜に嫁いでいます。
孫策と周瑜は本当に義兄弟でもあったのですね。
後に周瑜は『大喬、小喬は我々と結婚できて幸せだね。』というようなことを言ったとされています。
( ̄へ ̄|||) ウーム たいした自信家だね・・・。

本当に幸せなのは誰でしょう?
■江東の二喬と結婚できた孫策・周瑜
■孫策・周瑜と結婚できた二喬
■自分

第18話へ飛ぶ

[ 2005/11/09 11:14 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

三国志16 小覇王 孫伯符の巻 

いずれ魏となる基礎を築く曹操。
そして蜀の劉備。
この二人はひとまずおいておいて、呉の話にうつります。

時代は少し戻り、水関・虎牢関の戦いを覚えていますか?
董卓対反董卓連合軍の戦いです。
あの戦いの時に先鋒をつとめた武将がいました。
それが孫堅(字は文台)です。
孫堅は兵法『孫子』を書いた孫の子孫であり、若い頃から海賊退治で全国に名を知られる英雄でした。
しかし、水関の戦いで先鋒を務めた際に、袁術に兵糧を止められ、そのせいで敗戦していました。
しかし、董卓が焼き払った洛陽を見回っている際に伝国の玉璽(漢の帝に代々伝わっていたとされるハンコのでっかい奴ですね)を見つけ、それを持って地元に戻ったとされています。
その後、袁術の口車にのって荊州の劉表を攻めた際に罠にはまって命を落としてしまいました。

その孫堅の息子がのちに小覇王と呼ばれる孫策(字は伯符)です。
彼は孫家の再興を望み、袁術の食客として暮らしていました。
そしてある時、孫一門再興の決意をするのです。

孫策は袁術のもとへいき、父の形見である伝国の玉璽を渡す代わりに叔父を助けたいので兵を貸して欲しいと頼みます。
袁術は伝国の玉璽に飛びつき、すぐに兵三千を貸します。
こうして孫策は軍勢を整えると、揚州に向かって進発しました。
これが孫一門にとって念願の旗揚げとなりました。
父、孫堅の代からの忠臣である、程普、黄蓋、韓当、孫策の幼馴染である周瑜(字は公瑾)、それから周瑜の進言で江東に『二張』ありと言われた賢者、張昭、張紘を加え、揚州に叔父を助けに行きます。
これが孫策にとっての初陣となります。

次回は初陣の行方は・・・・?

周瑜は三国志一の男前で美周郎とも言われました。
音楽に造詣が深く少しでも演奏をまちがえれば演奏者を振り返ることから
『曲に誤りあれば、周郎顧みる』(曲をまちがったら周瑜が見るぞ。)
と江東の歌にまでなったといいます。
孫策とは『断金の交わり』(金属を断つほどの強い結びつき)を結び、その人生のすべてを孫策の覇業達成のために捧げようと誓ったとされています。


■三国志一の男前、周瑜。是非一度見てみたかった・・・。
■長江に周瑜が書いたとされる『赤壁』の文字を見てみたい。

ちなみにアタシはどちらもです・・・。

第17話へ飛ぶ

[ 2005/11/08 22:16 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(12)

三国志15 張翼徳の失敗の巻 

劉備たちが袁術軍と戦っている間、徐州では張飛が留守番をしていました。
酒好きだった張飛はつい酒を飲み始めてしまいました。
すると文官の曹豹が劉備と留守中は酒を飲まないと誓ったではないかと、これをいましめます。
しかしあろうことに張飛は酔った勢いで飲酒をいましめた曹豹をなぶりものにしてしまったのです。
それを恨んだ曹豹はその夜のうちに書面をしたため、小沛の呂布の元へ使者を送りました。
その書面には『劉備・関羽はおらず、張飛は今宵酔いつぶれている。今こそ徐州を奪う好機である』と書かれていたのです。

家臣たちがこれをすすめる中、呂布は最初反対します。
劉備は呂布をかくまってくれ、曹操からの密書も反故同然にしてくれた恩人です。
しかし部下の「呂布将軍は一生ただの将軍で終わるつもりか。」という言葉に動かされ、徐州を襲うことを決意してしまうのです。

ただでさえ強い呂布ですから、酩酊中の張飛など相手になりません。
張飛は劉備の妻子を城に残し、命からがら自分だけ逃げ出します。
劉備の元にたどり着いた張飛は全てを話し、死んでつぐなおうとします。
しかし、劉備は
『兄弟は手足のごとく、妻子は衣服のごとし。 衣服は破れようと繕うことができるが、一度バラバラになった手足は二度と繋げないのだ。』
と言って、張飛を許すのでした・・・。

呂布は袁術に劉備軍をたたけば兵糧や馬を送ると言われ、劉備軍追討の軍を出します。
しかし、袁術の言うことが二転三転するのに不信を抱き、軍師の陳宮の案で劉備に、自分は城を奪うつもりはなく、張飛が酒に酔って人を傷つけたので万一のことがあってはと代わりに守っていただけだから戻ってくるようにと手紙を出します。
袁術・呂布軍に追われ、放浪していた劉備は多少不本意ながらも、他に行く当てがないので結局徐州に戻ります。
呂布は劉備に徐州城を返すといいますが、劉備は呂布こそが徐州を治めるにふさわしい、私はその力になれればそれでいいと辞退し、そして今度は徐州に呂布が、小沛に劉備が住むことになるのです。

結局駆虎呑狼の計も成ったとは言い難い状況で終わりました。
次回はいよいよ小覇王といわれた孫策の登場です。

夫が『妻子は衣服のごとし』などと言ったら・・・?
■ぶっとばすっ!  ■しょうがない 

どっちのタイプの女性が好み?
■ぶっとばす系   ■しょうがない系

第16話へ飛ぶ
16~20へ飛ぶ
[ 2005/11/08 10:54 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

三国志14 二虎競食の計と駆虎呑狼の計の巻 

曹操は劉備と呂布が手を組んで攻めてくることをおそれました。
そこで荀と郭嘉が二匹の虎を互いに食わせる二虎競食の計を提案します。
まず劉備を正式な太守として認め、代わりに呂布を討つように密書を送って命じるのです。
もしこの計が成れば、劉備が呂布を倒すわけだし、失敗したとしても呂布が殺されそうになったことに逆上して劉備を殺すというわけです。
曹操は早速劉備を太守にすべく、帝に徐州に勅使を差し向けさせました。
しかし、同時に曹操の密書も受け取った劉備はあっさりこれを見抜き、いずれ機会を見て・・・と返答して逃れたのです。

計がうまくいかなかったので、次に虎を駆って狼を食わす駆虎呑狼の計が提案されました。
まず劉備に南陽の袁術(袁紹の義弟であり従兄弟。)を討つよう命じます。
前回が密書だったのに対し、今回は帝直々の勅命。
劉備は計だとわかりながらも兵三万を率いて南陽へ向かいました。

劉備が攻めてきたことを知った袁術は激怒します。
そこへ曹操の使者が来て、劉備が南陽を攻め取りたいと帝に上奏してきたのだと言います。
袁術はますます怒り、部下の紀霊(きれい)に兵二十万を与えて出陣させました。
三万対二十万
しかし劉備の徐州軍は関羽の奮戦で兵力に勝る南陽軍を撃破します。

劉備が留守の間、徐州城は張飛が守っていました。
張飛は留守中酒を禁じられていました。
しかし、一口だけのつもりで飲んだ酒があとで大変な災いを生むことになります。

続きはまた次回・・・。
虎となるか、狼となるか・・・。

■虎
■狼

第15話へ飛ぶ

[ 2005/11/06 21:44 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

三国志13 天子奉戴の巻 

今回は一旦劉備たちから離れて長安の都の話に戻ります。
長安では董卓が殺され、李カク(りかく)・郭(かくし)が権力を独占して悪政の限りをつくしていました。
その上、帝である献帝に対してまで幽閉したり、腐った肉を与えたりひどい仕打ちを始めたので、それに耐え切れずに献帝は都を逃げ出しました。
それを李カク・郭の軍が追ったため、献帝は帝でありながら追われる身となったのです。

しかし、献帝が李カク・郭軍に捕まりそうになったところを助けた軍がいました。
それがこれまた曹操軍です。
数々の群雄の中で、曹操だけがこの機を逃さず献帝を助けにきたのです。
曹操は李カク・郭軍を追い払い、献帝を許昌に連れて行き、都をここに移して『許都』としました。
自らは大将軍武平候に任じられ、自分の部下たちを重職につかせます。
真っ先に帝を助けに行き、自分の手の内にいれることで、曹操は朝廷という権力も手に入れました。
これ以降、朝廷の要事はすべて曹操に報告された後に帝に伝えられるようになりました。

その頃、世の中は打ち続く戦乱で土地は荒廃し、イナゴの大発生による大飢饉なども重なって人々は慢性的な飢餓に襲われていました。
曹操は自分で耕した土地は自分のものにしていいという触れを出しました。
人々はこぞって荒地を開墾して収穫をあげていきました。
納税された穀物は百万石を超え、穀倉は満杯となりました。
これが民屯(民衆の屯田制)の始まりでした。
曹操はただの軍人というだけではなく、新しい時代を切り拓く政治戦略家でもあったのです。

次回は権力を握り、勢いにのった曹操が軍師である荀、郭嘉(かくか)のアドバイスを受け、劉備・呂布に大して二虎競食の計と駆虎呑狼の計を仕掛けてきます。

やりたいのはどれ?
■主君  ■軍師  ■将軍  ■農民  ■占い師

第14話へ飛ぶ

[ 2005/11/05 22:47 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(6)

三国志12 罠と裏切りの巻 

エン州に駆け戻った曹操の元に一通の手紙が届きます。
地元の名士からの手紙で、呂布が占領している城の中から手引きして門を開けるから攻め込んできて助けて欲しいという内容でした。
曹操はこれ幸いとすぐさま城攻めを開始しますが、これは呂布の軍師、陳宮による罠で、城内には呂布軍がまちかまえていたのです。
曹操は呂布の罠にまんまとはまってしまいました。
曹操軍の大半が殲滅する中、曹操は命からがら逃げ出し、私情にかられて国を空けたことを今更ながらに後悔するのでした・・・。

大敗した曹操軍は兵力だけでなく、兵糧にもこと欠く始末でした。
そこでまたもや軍師の荀の進言で東の地に出没している黄巾賊を倒しにいきます。
これは黄巾賊を倒せば朝廷の聞こえもよく、人民の信望も得、その上黄巾賊の食糧を兵糧にあてられるという一石三鳥の策でもありました。

こうして曹操は再び兵力と兵糧を手に入れ、勢いにのり、エン州城を取り返し、いよいよ呂布の立てこもる城へとやってきました。
それを知った呂布も己の武をたのみに自軍の準備を待たずに先頭をきって出撃します。
曹操軍からは許チョがこれに相対しますが、なんせ相手はあの呂布、とてもかないません。
曹操軍数人がかりでなんとか呂布を引き上げさせ、そして呂布が城内に戻ろうとしたところで、なんと城門が閉じて呂布は締め出されてしまったではありませんか・・・。
最初に曹操を罠にかけた名士が曹操側に寝返り、城門を閉めてしまったのです。

こうして戻れるところがなく、呂布また放浪の身となりました。
身をよせてくれるところを探しますが、逆に呂布に殺されることを恐れて誰も助けてくれる人はいません。
そんな時に呂布が頼ったのがあの劉備でした。
関羽・張飛はもちろん周りは皆、呂布をかくまうことに反対しますが、劉備は曹操と対峙していた時に助かったのは呂布のおかげだと言って呂布を小沛に住まわせることにするのでした。

曹操は何とか領地を奪還したものの、父を殺されたという私怨で動いたばかりにずいぶん遠回りをしてしまいました。
しかし次回彼はその素早い決断力と行動で、他の英雄たちに大きくリードをとります。

どっちが見たい?
■曹操が兵書『孫子』を十三篇に編纂したという『孟徳新書』
■曹操が赤壁の戦いの際に歌った漢詩『短歌行』が載ってる『文選』(もんぜん)
演義の内容も混じっていますが、多才な人であったことにはまちがいないようです。

第13話へ飛ぶ

[ 2005/11/04 22:18 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(4)

三国志11 曹孟徳との和睦の巻 

劉備からの和睦の文書を読むと、曹操はその使者を斬って徐州城に総攻撃することを命じます。
するとそこへ別の知らせが届きます。
曹操の本拠地であるエン州が呂布に攻め込まれたというのです。

呂布を覚えていますか?
貂蝉のために董卓を殺した男です。
呂布は董卓の前にも義父の丁原を殺しているため、主殺しの烙印を押されて誰からも受け入れられず、各地を放浪していたのです。
その呂布が曹操が国を空けて徐州を攻めていることを知り、手薄のエン州を奪い取るべく攻め込んできたのでした。

エン州を奪われては曹操も帰る土地がありません。
そこでここは劉備に恩を売り、和議に応じたという形をとることにします。
ただ戻れば劉備軍が後ろから追い討ちをかけてくるかもしれません。
軍というのは後ろから攻められると弱いのです。
でも和議に応じたことにすればそうしたことを避けられると考えたのです。

曹操からの和睦承諾の返書を受け取った陶謙は曹操の軍勢が引き上げたことを知ると大いに喜び、そして劉備に自分の後を継いで徐州の太守になって欲しいと伝えます。
ところが劉備は自分は徐州を救援すべく兵を挙げてきたわけであって徐州の太守になるわけにはいかないと頑なに辞退したのです。
陶謙は再三頼みますが劉備は応じません。
陶謙はそれならばせめて徐州の近くの小沛にしばらく留まってもらいたいと強く要望し、劉備は断りきれずこれをようやく承諾しました。
しかししばらくして陶謙は病のとこにつきます。
彼があとを劉備に頼むと言い残して死んだため、劉備は結局徐州の太守となるのです。
諸侯が領土を争って戦う中、劉備は戦わずして一国の主となったのでした。
劉備が軍を起こし、故郷を出てから10年後のことでした。

さて、次回は曹操対呂布。
エン州城はどちらの手に・・・?

劉備に対するご意見をどうぞ。

■だったら最初から徐州もらっとけ。
■いやいや・・・無欲だからこそ一国の主になれたのだ

第12話へ飛ぶ

[ 2005/11/04 11:21 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(3)

三国志10 徐州の危機の巻 

曹嵩死す、の知らせを聞いた曹操は烈火のごとく怒ります。
そしてその怒りを徐州へ向けてしまうのです。
曹操は大軍を率いて徐州へ殺到し、領民を皆殺しにしてしまったのです。

それを聞いた太守の陶謙は慌て、援軍を求めるために各地へ使者を送りました。
しかし、曹操の軍勢を恐れ、援軍はなかなか来ませんでした。
そうこうしているうちに曹操は百万の大軍を率いて徐州の城を包囲してしまったのです。
陶謙は落城寸前の城に立て籠るしかありませんでした。

そんな時に援軍に現れたのがあの劉備一行でした。
その数およそ五千。
関羽も張飛も今回ばかりは劉備を止めます。
しかし劉備は曹操に殺された数十万の領民の死体の山を黙って見ていることはできませんでした。
結局張飛が一千の兵を引き連れ先陣を切り、曹操軍の陣を無理やり突破。
劉備軍は徐州城の城門になだれこみました。
劉備軍五千が援軍に来たとはいえ、曹操軍は百万、まさに焼け石に水です。
すると陶謙と合流した劉備は曹操に和議を申し込みました。

父親を殺され怒り狂っている曹操が和議などに承諾すると思いますか?
それでなくても曹操軍は大軍で徐州陥落は目前です。
ここで城を落とせば徐州も曹操のものになるのです。
当然、曹操は和議の申し込みの文書を読むとすぐ破り捨て、使者を斬って徐州城へ総攻撃をするように命じます。
劉備・陶謙軍絶対絶命大ピンチ!・・・かと思いきや、結局曹操は和睦せざるをえない状況に陥ることになるのです。

それはまた次回・・・。
それにしても劉備軍はたったの五千かょと思った方は人気blogランキングへ

第11話へ飛ぶ
11~15へ飛ぶ

[ 2005/11/02 22:50 ] 三国志1~10 | TB(0) | CM(4)

三国志9 曹孟徳の親孝行の巻 

董卓が死んだというのに決して世の中がよくなったわけではありませんでした。
董卓軍の残党の李カク(りかく)・郭(かくし)らが権力を握り、かつて董卓が行ったことと何一つ変わらない非道の暴政を始めたのです。
その際にあの王允も殺されてしまいました。
さらに悪いことに、滅亡したはずの黄巾賊も息を吹き返してきたのです。
あーらら・・。

そんな時、朝廷から曹操に黄巾賊討伐の命令が届きます。
曹操は軍師の荀の意見を取り入れ、青洲の黄巾賊討伐を敢行します。
青洲の黄巾賊は百日あまりの戦いの末に全員投降し、曹操はこれを自軍に取り入れ、三十万を超える強大な兵力をあっというまに手に入れるのです。
曹操は黄巾賊討伐の勲功によって鎮東将軍に任じられ、その名声を聞いて各地から続々と人材が集まってきました。
優れた人材と強大な兵力、そして広大な台地が今曹操の手の中に入ったのです。

力が強大になった曹操が次に考えたことはなんと親孝行でした。
曹操の父曹嵩(そうすう)は田舎に隠遁していたので、曹操はそれを手紙で呼び寄せました。
曹嵩一行が曹操の元へ向かう途中、陶謙という男が太守を務める徐州がありました。
兼ねてから曹操と親交を結びたいと考えていた陶謙は曹嵩一行を州境まで行って出迎え、盛大な宴席を設けてをもてなしました。
そして部下に曹嵩一行を曹操の元まで送らせました。
ところが・・・
なんとその部下が途中で曹嵩一行を皆殺しにし、金品を奪って逃亡してしまったのです。
陶謙のもてなしが裏目に出てしまいました。

次回はそのことを知った曹操がとった行動とは・・・?
いつまでもあると思うな親と金。
親が生きているうちでないと親孝行はできないんだよな・・・と思った方は人気blogランキングへ

第10話に飛ぶ

[ 2005/11/02 21:42 ] 三国志1~10 | TB(0) | CM(2)

三国志8 貂蝉の連環の計の巻 

気がつくといつの間にかメインタイトルが短くなってきていますが細かいことはあまり気にせず、今回も頑張って参りましょう。

王允が貂蝉に悩みを打ち明けた翌日、王允は呂布に黄金の冠を送りました。
呂布はその礼のために王允の屋敷を訪ね、そこで貂蝉に見事一目惚れするのです。
王允は呂布に娘が気に入ったのなら呂布将軍に差し上げようと持ちかけます。
呂布はすぐその気になり、その日はそれで帰りました。

数日後、王允は今度は董卓を屋敷にまねき、貂蝉に会わせます。
女好きの董卓はすぐさま貂蝉を気に入り、その日のうちに屋敷に連れて帰ったのでした。
その話はその夜のうちに呂布の耳に入りすぐに王允を問い詰めにやってきます。
しかし王允の董卓が呂布を喜ばす為に連れて帰ったのだという話を信じておとなしく帰ったのでした。

ところが・・・呂布は翌朝になって董卓が貂蝉に手をつけたことを知ります。
そして董卓に恨みを持つようになるのです。
呂布は董卓の目をしのんで貂蝉に会いにきます。
貂蝉も本当は呂布を愛しているのにこんなことになってしまってと泣き崩れ、呂布はますます貂蝉に溺れていくのです。

呂布は王允に相談しました。
そして二人で董卓をだまして連れ出し、とうとう董卓を殺すのです。
暴獣として恐れられた董卓でしたが、わずか16歳の美女の罠によって破滅してしまいました。
その後董卓の脂ぎった死体のへその上に立てられた蝋燭はその脂肪で何日も燃え続けたといいます。

わずか16歳でその身をもって人々を救った貂蝉ですが、その後姿を消してしまいます。
全てが明らかになって王允に迷惑がかからぬよう、自殺したとされていますが、人形劇三国志ではその後も出てきて、独自のストーリー展開がされています。
確か関羽が貂蝉のことを好きになってしまったような・・・?

貂蝉、董卓と・・・ってイヤじゃなかったのかなぁ・・・?っていう方は人気blogランキングへ

第9話に飛ぶ

[ 2005/11/02 12:18 ] 三国志1~10 | TB(0) | CM(4)
三国志


私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
第一話から読む場合はクリック
ちゃんとしたものを読みたい方にはこちらをお薦めします。
■三国志演義
■吉川三国志
■北方三国志
■横山三国志(漫画)

プロフィール
広告
ブログ内検索
訪問ありがとう

ブロとも申請フォーム