スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

三国志20 袁公路討伐の巻 

曹操は早速帝に上奏し、孫策を会稽の太守に封じて袁術討伐の軍を出すように詔を出させます。
そこで孫策も孫策軍は南から北上するから、曹操には北から南征してきてもらい、南北から挟み撃ちにするように頼みます。
曹操は呂布と劉備にも軍を出すように使者を出し、四方から計三十万の大軍で袁術軍を取り囲みます。

しかし、袁術は城に立て籠もったまま一歩も討って出てこようとはしませんでした。
持久戦に持ち込み、曹操軍が疲弊したところでこれを討つ・・・袁術はそう考えていたのです。
この作戦は功を奏し、曹操軍は兵の疲労だけでなく、兵糧がどんどん乏しくなり、兵たちの間から不満が出始めてきました。
兵糧は遠征軍の弱点だったのです。

そこで曹操はいつも食事の量を測る枡を一回り小さくしました。
当然兵たちの間には不満が高まります。
すると曹操は兵糧を管理する兵糧倉官に
「お前の妻子の面倒は一生この曹操が見てやる。我が軍の統制のために死んでくれ。」
と殺してしまいます。
そしてその首をさらし、そいつが食糧をごまかしていたと兵たちの曹操への不満をそらすことに成功するのです。

しかし、少しの間ごまかせたところで兵糧が足りないことにはちがいありません。
曹操はこれ以上長引かせることはできないと、総攻撃して三日以内に城を落とすように命じます。
しかし袁術側の反撃に兵たちはなかなか前へ進めません。
そこで曹操が自ら危険をかえりみず先陣をきって城に攻め入り、その姿を見た兵たちの士気も盛り上がり、ついで呂布・劉備軍もなだれ込んできたため、大乱戦となりました。
ほどなく、城は陥ちましたが、袁術は逃げてしまいました。
本来なら追い討ちをかけるところですが、なんといっても兵糧が少ない曹操、とりあえず兵をひきあげることにします。
そして劉備に小沛へ戻るように言います。
いずれ呂布を討つには劉備に小沛にいてもらった方がいいと考えたのです。
こうして劉備はまた小沛に戻ることになりました。
しかし、すぐまた小沛を追われることになるのです。

曹操は残酷ですが、曹操に限らず三国志には多くのものを守るために一人の命を厭わない・・・という出来事が多く出てきます。
その残酷さも上にたつ者にとっては必要な資質の一つなのかもしれません。

今回の話を読んで一番疑問に思ったことは?

■やはり曹操はまちがっている。命より大事なものなんてあるのか!
■劉備が小沛に戻るのに呂布は何も言わないのか?(曹操が呂布をうまくいいくるめた・・・ラシイ)
■孫策どこいった??(どうやら孫策の到着を待たずに曹操は攻撃を仕掛けたようです。)

第21話へ飛ぶ
21~25に飛ぶ
スポンサーサイト

[ 2005/11/11 10:31 ] 三国志11~20 | TB(1) | CM(2)

三国志19 袁公路 帝位簒奪の巻 

ある日突然、劉備が住む小沛にいきなり呂布が攻めてきました。
劉備が不思議に思っていると、張飛が呂布の元から大量の馬を盗んできたのだと白状するではありませんか・・・。
劉備が馬を集めていたので、協力しようと思ったようなのですが・・・。
劉備は慌てて呂布に馬を返すから兵をひいてくれるように頼みますが、呂布はとりあわず、結局戦いになってしまいます。
小さな小沛では呂布軍を防ぐことができず、劉備たちは小沛を捨てて、逃亡します。

劉備が頼ったのはあの曹操の元でした。
曹操軍では劉備の処遇についていろいろな意見がでますが、曹操は帝に上奏して、劉備をヨ州の太守に推挙し、兵と兵糧を与え、任地に向かわせたのでした。

その頃・・・袁術は伝国の玉璽を手にしていることを理由に自ら皇帝を名乗り、年号を定めて朝廷の諸官を設けていました。
つまり、献帝を退け、帝位を簒奪したことになります。
そして袁術は呂布が縁談の返事をよこさないのを理由に先々で略奪を繰り返しながら破竹の勢いで徐州へ攻めてきます。
しかし、呂布は袁術軍の将軍を味方に引き入れ、袁術軍の内部から撹乱させたのです。
袁術軍は総崩れ、しかも呂布が劉備に援軍を頼んでおいたおかげで(なんで劉備がここで呂布に協力したのか謎だ・・・。人が良すぎる。)関羽が軍を率いて駆けつけてきたのです。
当然呂布軍の圧勝に終わりました。
負けた袁術は孫策に軍勢の協力を申し出ますが、断られます。
それを聞いた曹操は今が袁術討伐の絶好の好機であると考えるのでした。

次回は袁術討伐連合軍ができあがります。

何故劉備は自分を小沛から追い出した呂布に援軍を送ったのでしょうか?
■そんな小さなことよりも袁術を討つことの方が重要だから。
■頼まれると断れないただのお人良し。

どっちも合ってる気もする・・・(-_-;)

第20話へ飛ぶ

[ 2005/11/10 21:42 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

三国志18 呂奉先の采配の巻 

今回からまた劉備の話に戻ります。

劉備が小沛に住むようになり、平和な日々もつかの間でした。
袁術が攻めてきたのです。
軍も兵糧も少ない劉備は徐州の呂布に援軍を頼みました。
しかし呂布の元には袁術から金銀兵糧が送られてきていたのです。

さて、ここで呂布はどういう行動をとるでしょう?
1.劉備に味方する。
2.袁術に味方する。
3.戦わない。

それでは続きをどうぞ。

呂布は国境で陣を張る袁術軍大将の紀霊と劉備の双方に自分の陣に来てくれるように伝書を送りました。
呂布の陣で出会った二人はお互い敵だと分かるとすぐさま剣を抜き、その場は一瞬にして緊張感に包まれました。
しかし、呂布が二人をここに呼んだのは二人の仲を取り持つためだと言い出すではありませんか。
ですが、紀霊も袁術の命を受け十万の兵を率いて来ている身、そう簡単に兵などひけません。
すると呂布があの的を一矢で射当てたらお互い天の声だと思って兵をひけといいます。
その的があまりにも遠かったので誰もが無理だと思いました。
しかし、呂布は見事に一発でこれを当てたのです。
双方恨みのない呂布の見事な采配でした。

しかし、そんなことで安々と引き下がる袁術ではありません。
今度は呂布の娘に(あれだけ貂蝉に惚れていても別に奥さんがいたのですねー。男ってそんなもの?)縁組の申し込みをしてきました。
しかし呂布はこれを警戒してあれこれ理由をつけては縁組を引き伸ばすのでした。

次回はまたまた張飛が問題を起こします。

↓あなたなら?

■妻・夫・恋人などの決まった相手がいても別の人を好きになることもある・・・かもしれない。
■一人好きな人がいたら他の人なんて絶対考えられない!

第19話へ飛ぶ

[ 2005/11/10 10:49 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

三国志17 小覇王の初陣の巻 

揚州での孫策の戦いは圧倒的に不利かと思われました。
敵の劉ヨウ軍が出てきて大軍で待ち伏せており、それにひきかえ孫策軍はたったの三千だったのです。
当然苦戦していた時、ふと敵の背後から火の手が上がりました。
敵軍の中に若き孫策に共鳴する反乱兵が出たのです。
それで勝負はあっけなくつきました。
孫策はこの戦いで、投降した兵四千と大量の武器・兵糧を手に入れ、さらに敵地深く軍をすすめていったのです。

劉ヨウが張っている陣を孫策が偵察していた時のことでした。
いきなり孫策に斬りかかってくる男がいました。
それが太史慈でした。
孫策は太史慈といきなり一騎打ちになったものの、これは結局勝負がつかずに終わり、その後彼は孫策が劉ヨウ軍を倒した後でも城に立てこもり、孫策軍に抵抗を続けたのです。

孫策は太史慈がこもってる城に総攻撃を仕掛け、罠を仕掛けて彼を生け捕りにしました。
そして自分の部下になるように説得するのでした。
最初は拒否していた太史慈も孫策の暖かい言葉に孫策軍に入ることに納得し、自分にしばしの間、時間をくれれば劉ヨウ軍の中のすぐれた武将達を連れて来ると言い出しました。
孫策はこれを信じ、太史慈を行かせます。
しかし、彼はなかなか帰ってこず、孫策の部下達がこれをあやしみ、逃げたのでは・・・と騒ぎ出した頃、太史慈がたくさんの軍勢を連れて戻ってきたのです。
太史慈を信じた孫策も大物なら約束を果たして返ってきた太史慈も大物でした。
これ以降、太史慈は孫一門の片腕となって大活躍し、江東一帯を次々と平定していったのです。

江東というのは中国の東の方、いずれ呉となる辺りですね。
江東には『江東の花の二喬』と呼ばれる美人姉妹がいました。
姉の大喬は孫策に、妹の小喬は周瑜に嫁いでいます。
孫策と周瑜は本当に義兄弟でもあったのですね。
後に周瑜は『大喬、小喬は我々と結婚できて幸せだね。』というようなことを言ったとされています。
( ̄へ ̄|||) ウーム たいした自信家だね・・・。

本当に幸せなのは誰でしょう?
■江東の二喬と結婚できた孫策・周瑜
■孫策・周瑜と結婚できた二喬
■自分

第18話へ飛ぶ

[ 2005/11/09 11:14 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(2)

三国志16 小覇王 孫伯符の巻 

いずれ魏となる基礎を築く曹操。
そして蜀の劉備。
この二人はひとまずおいておいて、呉の話にうつります。

時代は少し戻り、水関・虎牢関の戦いを覚えていますか?
董卓対反董卓連合軍の戦いです。
あの戦いの時に先鋒をつとめた武将がいました。
それが孫堅(字は文台)です。
孫堅は兵法『孫子』を書いた孫の子孫であり、若い頃から海賊退治で全国に名を知られる英雄でした。
しかし、水関の戦いで先鋒を務めた際に、袁術に兵糧を止められ、そのせいで敗戦していました。
しかし、董卓が焼き払った洛陽を見回っている際に伝国の玉璽(漢の帝に代々伝わっていたとされるハンコのでっかい奴ですね)を見つけ、それを持って地元に戻ったとされています。
その後、袁術の口車にのって荊州の劉表を攻めた際に罠にはまって命を落としてしまいました。

その孫堅の息子がのちに小覇王と呼ばれる孫策(字は伯符)です。
彼は孫家の再興を望み、袁術の食客として暮らしていました。
そしてある時、孫一門再興の決意をするのです。

孫策は袁術のもとへいき、父の形見である伝国の玉璽を渡す代わりに叔父を助けたいので兵を貸して欲しいと頼みます。
袁術は伝国の玉璽に飛びつき、すぐに兵三千を貸します。
こうして孫策は軍勢を整えると、揚州に向かって進発しました。
これが孫一門にとって念願の旗揚げとなりました。
父、孫堅の代からの忠臣である、程普、黄蓋、韓当、孫策の幼馴染である周瑜(字は公瑾)、それから周瑜の進言で江東に『二張』ありと言われた賢者、張昭、張紘を加え、揚州に叔父を助けに行きます。
これが孫策にとっての初陣となります。

次回は初陣の行方は・・・・?

周瑜は三国志一の男前で美周郎とも言われました。
音楽に造詣が深く少しでも演奏をまちがえれば演奏者を振り返ることから
『曲に誤りあれば、周郎顧みる』(曲をまちがったら周瑜が見るぞ。)
と江東の歌にまでなったといいます。
孫策とは『断金の交わり』(金属を断つほどの強い結びつき)を結び、その人生のすべてを孫策の覇業達成のために捧げようと誓ったとされています。


■三国志一の男前、周瑜。是非一度見てみたかった・・・。
■長江に周瑜が書いたとされる『赤壁』の文字を見てみたい。

ちなみにアタシはどちらもです・・・。

第17話へ飛ぶ

[ 2005/11/08 22:16 ] 三国志11~20 | TB(0) | CM(12)
三国志


私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
第一話から読む場合はクリック
ちゃんとしたものを読みたい方にはこちらをお薦めします。
■三国志演義
■吉川三国志
■北方三国志
■横山三国志(漫画)

プロフィール
広告
ブログ内検索
訪問ありがとう

ブロとも申請フォーム


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。