曹操は昔から賢人を重んじる男でした。
ですから鳳雛と名高いホウ統が来た時もそれはそれは下にもおかぬ歓迎ぶりでした。
曹操とホウ統はまず曹軍の陣営を見に行きます。
その水軍は訓練の真っ最中でした。
それは多くの兵達が水軍ならではの訓練に励んでいました。
が、水軍戦になれない江北の兵達は船がひとたび揺れるとすぐ船酔いになり、訓練どころではなくなってしまうのです。
それは曹操の悩みの種でもありました。
しかし丘に登って陣営を見渡したホウ統はこの陣は実に壮観な陣立てであり、陣の内側は早舟が行き来し、しかも林を背に、南に24の門を開いた陣の配置は兵法にもかなっており、たとえ孫子や呉子(昔の兵法家)が生まれ変わってもこのような素晴らしい陣は作れまい・・・と褒め称えます。
宴が始まると、ホウ統は孔明の戦略についての問題点を指摘します。
孔明が起点とする荊州は係争の地になりやすく、いつも戦いに巻き込まれていたのでは天下三分の計の為の蜀まで平定するには力を使いすぎてしまう・・・と。
さらに周瑜に対してはとても大軍を統率できる男ではない、あの度量の狭さ、妬みも強いので孔明を何度も害そうとしている、そんな男に大業を成せるわけはない、音楽でも奏でているのがふさわしい・・・とさんざんこきおろします。
曹操はそれを聞いてどう思ったでしょうか。。。
さらにホウ統は曹軍の欠点について指摘します。
船酔いで病人が多いのでは・・・?と持ちかけると曹操は水が合わずに疫病が流行りだし、命を落とすものが後を絶たないのだと悩みを打ち明けます。
そこでホウ統は一つの計を授けるのです。
水面は潮の流れや風で常に動いているもの、船の揺れに不慣れな兵は病気がちになるでしょう、しかし大小の船を30艘から50艘ずつ順序よく並べ、艫と舳先を鉄の鎖でつなげ甲板に板を敷き詰めれば兵士ばかりか馬までも自由に往来できます。このように船を連環すれば波風による揺れなども抑えられます・・・と。
それを聞いた曹操は少し考え、すぐに鎖や大釘を大量に作らせ、船を繋げるよう命じるのです。
さらにホウ統は、周瑜はまだ若く才をひけらかし軍律ばかりを濫用するので嫌われている、江東の豪傑達はみな曹丞相への帰順をのぞんでいる、自分に任せてくだされば彼らを投降させて来ましょうと持ちかけます。
曹操は大変喜び、勝利の暁にはホウ統に高い位を授けようと言いますが、ホウ統は自分はそんなものはいらない、ただ曹操が江東に進軍した際には領民には手を下さないで欲しいと頼みます。
曹操はそれを快諾しますが、ホウ統は兵達が暴走するということもありえると心配します。
それを聞いた曹操は、軍令に背く者があれば勝手に処罰してよいという内容を紙にしたため印を押し、それをホウ統に渡すのでした。
ホウ統、どこまで演技なのか本物なのかよく分かりません(-_-;)
何はともあれ、役目が済んだホウ統が帰ろうとすると『大胆なり、士元(ホウ統の字)よ・・・』とその肩を叩くものがあります。
それはあの徐庶でした。
ホウ統と徐庶は孔明と共に学んだ仲だったのです。
そして徐庶は
あの時以来そのまま曹軍にいたのです。
しかも彼は、黄蓋は『苦肉の計』、カン沢は『偽りの投降書』、士元は『連環の計』、曹軍83万の兵を一人残らず焼き尽くすつもりか?と全てお見通しです。
ここで徐庶に全てをバラされては何もかもが終わりです。
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