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三国志80 火攻めに必要な風の巻 

呉の水軍は三江口を出て曹軍と対峙してました。
曹操はまず、連環船でない小さな船で呉軍と戦わせます。
しかし呉の韓当、周秦といった水上戦に長けている呉軍の前にあっけなく負けてしまいます。
次に曹操はとっておきの連環船団を繰り出します。
呉軍は曹軍の連環船に向かって矢を次々に打ちますが、大きな船を繋いだ連環船に矢は届かず、結局撤退するのでした。

呉軍の陣営では戦に敗退した韓当、周秦が周瑜に敗北を詫びていました。
しかし周瑜は戦の勝敗は兵家の常、気にされるなと上機嫌な様子で言うので韓当、周秦は怪訝に思いながらも下がります。
魯粛が大都督(周瑜)はいつも軍法には厳しいのに今日はどうしてあの二人を即許したのかと聞くと周瑜は今回は最初から一勝一敗の必要があったのだと言います。
曹軍が早舟なら我が軍は何がなんでも勝たなければならないが、連環船に対しては決して勝ってはならない、曹操が連環船の優越性を信じない限り、火攻めは使えないからだと説明します。
そこへ大風が吹いてきます。
するとそこにこの風で曹陣営の大旗が折れたという報告が来ます。
周瑜はそれは不吉なことだ、かわいそうに・・・と敵の不幸をわざわざ見に行きます。(性格悪くない?)

しかし、曹陣営を見に行き、呉軍の旗が顔に当たった周瑜はそこで一つのことにようやく気付くのです。
それこそ曹操が言ってた風についてでした。
火攻めに風は不可欠、しかし時は冬、長江に東南風は吹かない。
南岸に布陣する呉軍が北岸の曹軍を火攻めにすれば、その炎は風下にいる自軍を焼き尽くすことになってしまう・・・。
東南の風が吹かない限り、これまでの計が全て無駄になってしまう・・・それに気付いた周瑜は気のあせりが高じ病に倒れてしまうのでした。

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81話へ飛ぶ
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[ 2006/04/11 15:20 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(8)

三国志79 短歌行の巻 

出陣を控え、曹操は全兵を集めて宴を催していました。
師勗の古代の舞も復元し、宴は盛り上がりを見せていました。
曹操は連環船のおかげで悩みの種も解決し、江東を平定して天下を統一し平和がもたらされた暁にはここにいる諸侯と泰平の世を楽しもうと、上機嫌でした。
曹操は黄巾討伐の頃から使っている矛を持ってこさせ、これまでの数々の戦を振り返ります。
そして天空に名月を戴き、地には大河が流れ、この絶景に感極まったと言って詩を歌いだします。
これが有名な曹操の『短歌行』です。
内容は「さあ、酒を飲んで歌おう」というような内容だったと思います。
まぁ、上機嫌でこれを謡い終わった後、天下一の楽師としている師勗にその感想を尋ねます。
師勗は最初その歌を誉め称えるのですが、曹操は怒りはしないから誤りがあったら遠慮なく指摘して欲しいと言うのです。
すると師勗は曹丞相の詩才は当代一でしょう、ただこの詩の中には雅楽の規範に合わず不吉な文言がある、今まさに出陣というこのような時には避けるべきであると指摘します。
それを聞いた曹操は興を殺いだと言って持っていた矛で師勗を突き刺し、そのまま自分は倒れてしまうのです。
翌日、冷静になった曹操は酒に溺れて彼を殺してしまったことを後悔します。
師勗は天下一の楽師、今日からこの国には雅楽がなくなる・・・そう言って泣き、彼を手厚く葬るのでした。

曹陣営では船を鎖で繋ぎ、武器も軍旗も用意できて戦闘の準備が整ってきました。
曹操は水上塞を巡察しに行きます。
船が鎖で繋がれたことにより兵士の足場が安定しただけでなく、馬も行き来できるようになっていました。
整然と秩序をなして圧倒する大きな連環船の間を魚のように動く早舟を見て、曹操は決戦での勝利を確信していました。
しかし、それを見て呉の火攻めを心配している軍師がいました。
程イクです。
すると曹操は松明を持ってこさせ、これで自分を焼いてみろと言います。
しかし風が程イク側に向かって吹いており、焼くことができません。
曹操は、今は冬、西風、北風は吹くけれど、東風、南風は吹かない、我が軍は長江北岸におり、敵は南岸だ、もし周瑜が火攻めを用いたら燃えるのはどっちだ?と言って笑うのでした。

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80へ飛ぶ
[ 2006/03/24 23:59 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(4)

三国志78 天下一の楽師の巻 

ホウ統が、これは江東の民の命を救うためだ、見逃してくれ・・・と徐庶に頼むと彼は83万の兵の命はどうでもいいのか?江東の民の命と兵の命、その重さに違いはないだろう?とホウ統に詰め寄ります。
これにはホウ統も曹操に知らせるつもりなのかと慌てますが、実は徐庶は合戦が始ると曹軍にいる自分も巻き込まれるのでそれから逃れる法をホウ統に聞きたくてわざとそんなことを言ったのです。
それを知ったホウ統は安心し、お前のように先が見える者でも本当にそれが分からないのか?と問いつつも、陣に戻ったら腹心に西涼の馬騰(ばとう)と韓遂(かんすい)が反乱を起こして許昌を攻めていると流言を巻き、曹操がそれを聞いて慌てたら自分が守りに行くと離れれば良い・・・と教えます。
それを聞いた徐庶はなるほど・・・と納得し、ホウ統を行かせるのでした。
この策は実に良く出来ています。
曹軍の将軍達は皆手柄をたてたいから赤壁に残りたがる者がばかりで、その中で徐庶が申し出れば徐庶しか行く人がいなくなるというわけです。
そういうことをとっさに思いつくところがさすがです。

ところで曹軍の中に以前宮中の楽師であった師勗(しきょく)という男がいました。
曹操は彼を天下一の楽師だと重用していました。
相次ぐ戦乱で古代の雅楽の楽譜が焼失してしまったので曹操がこの古楽を復元させるために四方から古い楽譜を集めさせ、師勗がそれを復元する作業をしていたのです。
曹操は将兵を集めて宴を催し、歌と舞で気勢を挙げようと考えていました。
師勗はその祝典で復元したその古代の楽舞を披露するつもりでいたのです。
そして曹操もこの数年の戦の合間に作った詩の中から数曲選んで歌と踊りに興趣を添えるつもりでした。
曹操は兵法だけでなく詩や音楽を好む風流人でもあったのです。
しかし、次回この宴で事件が起きてしまいます。

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[ 2006/03/23 00:06 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(4)

三国志77 ホウ士元の連環の計の巻 

曹操は昔から賢人を重んじる男でした。
ですから鳳雛と名高いホウ統が来た時もそれはそれは下にもおかぬ歓迎ぶりでした。
曹操とホウ統はまず曹軍の陣営を見に行きます。
その水軍は訓練の真っ最中でした。
それは多くの兵達が水軍ならではの訓練に励んでいました。
が、水軍戦になれない江北の兵達は船がひとたび揺れるとすぐ船酔いになり、訓練どころではなくなってしまうのです。
それは曹操の悩みの種でもありました。

しかし丘に登って陣営を見渡したホウ統はこの陣は実に壮観な陣立てであり、陣の内側は早舟が行き来し、しかも林を背に、南に24の門を開いた陣の配置は兵法にもかなっており、たとえ孫子や呉子(昔の兵法家)が生まれ変わってもこのような素晴らしい陣は作れまい・・・と褒め称えます。

宴が始まると、ホウ統は孔明の戦略についての問題点を指摘します。
孔明が起点とする荊州は係争の地になりやすく、いつも戦いに巻き込まれていたのでは天下三分の計の為の蜀まで平定するには力を使いすぎてしまう・・・と。
さらに周瑜に対してはとても大軍を統率できる男ではない、あの度量の狭さ、妬みも強いので孔明を何度も害そうとしている、そんな男に大業を成せるわけはない、音楽でも奏でているのがふさわしい・・・とさんざんこきおろします。
曹操はそれを聞いてどう思ったでしょうか。。。

さらにホウ統は曹軍の欠点について指摘します。
船酔いで病人が多いのでは・・・?と持ちかけると曹操は水が合わずに疫病が流行りだし、命を落とすものが後を絶たないのだと悩みを打ち明けます。
そこでホウ統は一つの計を授けるのです。
水面は潮の流れや風で常に動いているもの、船の揺れに不慣れな兵は病気がちになるでしょう、しかし大小の船を30艘から50艘ずつ順序よく並べ、艫と舳先を鉄の鎖でつなげ甲板に板を敷き詰めれば兵士ばかりか馬までも自由に往来できます。このように船を連環すれば波風による揺れなども抑えられます・・・と。

それを聞いた曹操は少し考え、すぐに鎖や大釘を大量に作らせ、船を繋げるよう命じるのです。
さらにホウ統は、周瑜はまだ若く才をひけらかし軍律ばかりを濫用するので嫌われている、江東の豪傑達はみな曹丞相への帰順をのぞんでいる、自分に任せてくだされば彼らを投降させて来ましょうと持ちかけます。
曹操は大変喜び、勝利の暁にはホウ統に高い位を授けようと言いますが、ホウ統は自分はそんなものはいらない、ただ曹操が江東に進軍した際には領民には手を下さないで欲しいと頼みます。
曹操はそれを快諾しますが、ホウ統は兵達が暴走するということもありえると心配します。
それを聞いた曹操は、軍令に背く者があれば勝手に処罰してよいという内容を紙にしたため印を押し、それをホウ統に渡すのでした。

ホウ統、どこまで演技なのか本物なのかよく分かりません(-_-;)
何はともあれ、役目が済んだホウ統が帰ろうとすると『大胆なり、士元(ホウ統の字)よ・・・』とその肩を叩くものがあります。
それはあの徐庶でした。
ホウ統と徐庶は孔明と共に学んだ仲だったのです。
そして徐庶はあの時以来そのまま曹軍にいたのです。
しかも彼は、黄蓋は『苦肉の計』、カン沢は『偽りの投降書』、士元は『連環の計』、曹軍83万の兵を一人残らず焼き尽くすつもりか?と全てお見通しです。
ここで徐庶に全てをバラされては何もかもが終わりです。

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78へ飛ぶ
[ 2006/03/20 23:13 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(5)

三国志76 鳳雛先生の巻 

その頃周瑜は地図を眺めていました。
火攻めという点で孔明と意見が一致したものの、いざ火をかけても船がばらばらに逃げ出したのではあまり効果がない、何かいい案がないかと魯粛に持ちかけます。
魯粛は近くの山中に姓をホウ、名を統、字を子元という鳳雛と呼ばれている者がいる、その鳳雛先生に教えを請いた際に曹操にとりいって鎖で船が四散しないように数珠繋ぎにする『連環の計』を献じよ、ということでした・・・と答えます。
周瑜はそれに感心し、それを鳳雛先生に頼もうと考えるのです。
この鳳雛を忘れた方はこちら

そこへ蒋幹がまたやってきたと報告が来ます。
それを聞いた周瑜はとっさに一つの案が浮かぶのです。

蒋幹に会うと周瑜は書面を持ち出したことをわざと怒ってみせます。
その迫力に蒋幹もたじたじです。
周瑜はここで蒋幹を斬れば世間に無情だと笑われるし、残せばまた軍の機密を盗まれる・・・どうしたらいいだろうと魯粛に問うふりをします。
魯粛の案で蒋幹はしばらく西山の庵で幽閉されることになります。

蒋幹が西山庵を歩いていると、誰かが詩を読んでいます。
なんとその人物こそが鳳雛ことホウ統だったのです。
なんでこんなところにいるのかと蒋幹が訊ねると、ホウ統は以前仕えていた周瑜は器量が小さく、妬みも強いのでここで隠居しているのだと答えます。
それを聞いた蒋幹は呉を探ることができなかった代わりにこの名高いホウ統を曹操の元に連れて行けば手柄になると考え、ホウ統を誘います。
ホウ統はそれならば周瑜に知られる前に・・・とすぐに蒋幹と共に河を渡って曹陣営に向かうことにするのでした。

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77へ飛ぶ
[ 2006/03/09 23:41 ] 三国志71~80 | TB(0) | CM(8)
三国志


私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
第一話から読む場合はクリック
ちゃんとしたものを読みたい方にはこちらをお薦めします。
■三国志演義
■吉川三国志
■北方三国志
■横山三国志(漫画)

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