劉備は声をかけて起こそうとした諸葛均を止め、孔明が起きるのを待つことにします。
やがて日がかげってきました。
外で待たされていた張飛はイライラして中を覗き、劉備を待たせて孔明がのうのうと寝ているのを見ると怒り出します。
しかし、劉備はそれをたしなめます。
すると、孔明が起きました。
劉備が来ていることを聞くと孔明は着替えて出てきます。
孔明を見た劉備は驚きました。
孔明は劉備よりもはるかに若かったのです。
孔明は待たせた無礼を詫びて部屋に招きいれ、手紙を読んだが自分は若輩で才もなくとても役にたてそうにない、と断ります。
しかし劉備は漢室再興と苦しむ民を救うための熱い想いを語り、孔明に自分はこれからどうしたらいいのかと教えを請うのです。
すると孔明は曹操を倒すためにはまず、東の孫権と結び、荊州を支配下に治めていずれ機会を見て西の益州(蜀)を手に入れ、北は曹操に東は孫権に譲り、天下を三つに分けてから対抗するという天下三分の計を説くのです。
劉備は荊州の劉表も益州の劉璋も同じ漢王室の一門でそれを倒すなどということはとうていできない・・・と不安を口にすると孔明は劉表は天文にもうすぐ命運が尽きることが出ているし、劉璋は悪政で民の不満が高まり、荊・益両州はいずれおのずと将軍(劉備)の手に入ってくるでしょう・・と言うのでした。
これまで天下統一して民を救いたいとは思うものの、自分の領土も持てずただ劉表の客でしかなく、何をしたらいいのかも分からなかった劉備はその話に感動し、改めて孔明に自軍に来てくれるように頼みますが、孔明は自分には百姓暮らしが似合ってるのだと頑なに断ります。
すると劉備は孔明に来てもらえなければ漢室再興も叶わず、民の苦しみが続くばかりだと言って泣くのです。
孔明はその涙に心打たれ、とうとう劉備に仕えることを決意したのでした。(泣き落とし?)
こうして孔明は隆中を出て、劉備に仕えることになりました。
隆中を出る際に弟の諸葛均に自分が戻ってくるまで畑と家のことを頼んでいきますが、最後まで孔明がここに戻ってくることはかないませんでした。
この時劉備47歳、孔明は27歳でした。
孔明は自分で梁父吟という歌を作ってよく歌っていたといいます。
その内容は斉の宰相・晏嬰が、2つの桃で3人の壮士を殺したという逸話を歌ったものです。
前々回に少し出てきた、管仲・楽毅、そして晏嬰は全て君主を補佐した人物であり、これは孔明自身も自ら英雄になるのではなく、誰かを補佐する立場になりたい・・・という気持ちの現れであったとされています。
孔明は三顧の礼の少し前に結婚もしています。
黄承彦という地元の名士の娘でしたが、この娘が色が黒くて髪が黄色であったということから醜娘であったとされています。
このことから『孔明の嫁もらいを真似するな』という歌ができたとか・・・。(ヒドイ!)
しかし彼女は大変な才女で、その知性を孔明が気に入って嫁にもらい、孔明が後に発明したとされる木牛流馬なども彼女の発明だったという説もあります。
まぁ、とにかくこれで孔明は劉備の元に行くことになりました。
すると次回早速孫権・曹操が攻めてきます。
天下の奇才と言われる孔明ですが、これらにどう立ち向かうのでしょうか・・・。
どっちと結婚したい?
■美男あるいは美女だけどあまりオツムのよろしくない相手
■見た目はあまりよろしくないけど、とてつもなく天才
案外天才と結婚したりすると苦労もあるかも。。。
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