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三国志50 水魚の交わりの巻 

劉備が孔明を迎えてしばらくすると、孫権が荊州を攻めてきました。
荊州は今劉表が病に伏し、息子の劉キ・劉が跡継ぎ問題でもめており、頼りになるのは劉備くらいですが、その劉備さえ弱小軍団でありました。

これを絶好の機会と考えたのが曹操軍の片目の夏候惇です。
孫権が荊州を攻めている今、北から曹操軍が攻めれば劉備を簡単に破ることができると考えたのです。
しかし、荀がこれに対して、劉備は油断のならぬ相手の上、最近は天下の大賢人という諸葛孔明を迎えたというから少し注意が必要だといいます。
それを聞いていた曹操は孔明を知っている徐庶に孔明とはどんな人物かと問います。
すると徐庶は自分が蛍の光だとしたら孔明は夜空に輝く月の光、鬼神も恐れる変幻自在の奇略計略を行う奇才であると褒め称えます。
曹操は考えましたが、結局夏候惇に10万の兵を与えて劉備を攻めさせるのです。

その頃劉備は孫権が攻めてきたというので不安になっていました。
ところが迎えたばかりの孔明は孫権のことは心配ないと言います。
孫権は聡明な男だから奥深くまでは攻めてはこない、それより心配なのは曹操だが、もし曹操が攻めてきたところでそれに備えて今訓練をしてあるから心配ない・・・と言って劉備を安心させるのでした。

孔明を迎えたことで劉備軍では不満が上がっていました。
その筆頭がなんといっても関羽・張飛です。
孔明を迎えてからというものの、劉備は孔明と寝食を共にし、いつもべったり。
桃園の誓い以来、苦楽を共にしてきたのは自分達なのに、昨日今日来たばかりの若造をかわいがってばかりいる・・・と嫉妬していたのですね。
すると劉備は関羽と張飛に、自分が孔明を得たのは魚が水を得たようなものなのだと言って二人に説明するのでした。
これを『水魚の交わり』といい、大変親密な(君臣)関係のことをいいます。

するとそこへ曹操軍10万が攻めてきたという知らせが入ります。
しかし孔明を気に入らない関羽・張飛は、兄者(劉備)の好きな水に追い払ってもらえ・・・などと言う始末。
大軍を前にして乱れるチームワーク。
さて、孔明の初陣はどうなるのでしょうか・・・?

男が男を相手に嫉妬ってするするものなのでしょうか?
しかも関羽・張飛のような武人が・・・。
いくら親密だからって昨日今日会ったばかりの男同士で好んで一緒に寝るものなのでしょうか?
道理で三国志ホモ話が多いはずです。
でもそれだけ劉備のことが好きなんでしょうね、みんな。
何故そこまで好かれるのか・・・。

一緒に寝たくないのは?
■隣に寝たら髭がからまりそうな関羽
■一緒に寝たら酒臭くていびきがうるさそうな張飛

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[ 2005/12/15 23:35 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(4)

三国志49 天下三分の計の巻 

劉備は声をかけて起こそうとした諸葛均を止め、孔明が起きるのを待つことにします。

やがて日がかげってきました。
外で待たされていた張飛はイライラして中を覗き、劉備を待たせて孔明がのうのうと寝ているのを見ると怒り出します。
しかし、劉備はそれをたしなめます。
すると、孔明が起きました。
劉備が来ていることを聞くと孔明は着替えて出てきます。
孔明を見た劉備は驚きました。
孔明は劉備よりもはるかに若かったのです。

孔明は待たせた無礼を詫びて部屋に招きいれ、手紙を読んだが自分は若輩で才もなくとても役にたてそうにない、と断ります。
しかし劉備は漢室再興と苦しむ民を救うための熱い想いを語り、孔明に自分はこれからどうしたらいいのかと教えを請うのです。

すると孔明は曹操を倒すためにはまず、東の孫権と結び、荊州を支配下に治めていずれ機会を見て西の益州(蜀)を手に入れ、北は曹操に東は孫権に譲り、天下を三つに分けてから対抗するという天下三分の計を説くのです。
劉備は荊州の劉表も益州の劉璋も同じ漢王室の一門でそれを倒すなどということはとうていできない・・・と不安を口にすると孔明は劉表は天文にもうすぐ命運が尽きることが出ているし、劉璋は悪政で民の不満が高まり、荊・益両州はいずれおのずと将軍(劉備)の手に入ってくるでしょう・・と言うのでした。

これまで天下統一して民を救いたいとは思うものの、自分の領土も持てずただ劉表の客でしかなく、何をしたらいいのかも分からなかった劉備はその話に感動し、改めて孔明に自軍に来てくれるように頼みますが、孔明は自分には百姓暮らしが似合ってるのだと頑なに断ります。
すると劉備は孔明に来てもらえなければ漢室再興も叶わず、民の苦しみが続くばかりだと言って泣くのです。
孔明はその涙に心打たれ、とうとう劉備に仕えることを決意したのでした。(泣き落とし?)

こうして孔明は隆中を出て、劉備に仕えることになりました。
隆中を出る際に弟の諸葛均に自分が戻ってくるまで畑と家のことを頼んでいきますが、最後まで孔明がここに戻ってくることはかないませんでした。
この時劉備47歳、孔明は27歳でした。

孔明は自分で梁父吟という歌を作ってよく歌っていたといいます。
その内容は斉の宰相・晏嬰が、2つの桃で3人の壮士を殺したという逸話を歌ったものです。
前々回に少し出てきた、管仲・楽毅、そして晏嬰は全て君主を補佐した人物であり、これは孔明自身も自ら英雄になるのではなく、誰かを補佐する立場になりたい・・・という気持ちの現れであったとされています。

孔明は三顧の礼の少し前に結婚もしています。
黄承彦という地元の名士の娘でしたが、この娘が色が黒くて髪が黄色であったということから醜娘であったとされています。
このことから『孔明の嫁もらいを真似するな』という歌ができたとか・・・。(ヒドイ!)
しかし彼女は大変な才女で、その知性を孔明が気に入って嫁にもらい、孔明が後に発明したとされる木牛流馬なども彼女の発明だったという説もあります。

まぁ、とにかくこれで孔明は劉備の元に行くことになりました。
すると次回早速孫権・曹操が攻めてきます。
天下の奇才と言われる孔明ですが、これらにどう立ち向かうのでしょうか・・・。

どっちと結婚したい?
■美男あるいは美女だけどあまりオツムのよろしくない相手
■見た目はあまりよろしくないけど、とてつもなく天才

案外天才と結婚したりすると苦労もあるかも。。。

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[ 2005/12/14 15:29 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(6)

三国志48 三顧の礼の巻 

今回から諸葛亮に限り字で孔明と呼びます。
親しみをこめて・・・♪
と言いたいところですが、入力が面倒なんです(-_-;)

劉備達が臥龍岡につくと中から子どもが出てきました。
劉備はその子に

劉備「漢の左将軍 宜城亭候 予州の牧 皇叔劉備が来たと臥龍先生に伝えてください。」
子ども「そんなに長い名前覚えられません。」
劉備「じゃあ、新野の劉備が来たとだけ伝えてください。」
子ども「先生は今朝でかけました。」
劉備「お帰りのご予定は・・・?」
子ども「4、5日で帰る時もあるし、1ヶ月帰って来ない時もあるし・・・」

劉備は諦めて帰ることにしました。
すると男が一人やってきます。
劉備はその人が臥龍ではないかと思い尋ねてみると、その男は孔明の友人で崔州平といい、孔明を訪ねるところだったといいます。
人違いでしたがひととおり崔州平に教えを乞い、劉備は帰るのでした。

しばらくたって、臥龍が家に戻ってきているという情報を得た劉備は雪の中を関羽・張飛を連れて臥龍岡まで出向きます。
すると途中の居酒屋で歌を歌う声が聞こえます。
寒さもあって劉備達はそこに寄ることにします。

中では男達が歌を歌っていました。
劉備はそれを聞くとその人達にも臥龍先生ではないかと尋ねますが、またもや人違いだったのでした。(孔明の友達ではあったけど。)

臥龍岡へ着くと今度は中へ通されました。
すると若い男が出てきました。
今度こそ彼が臥龍だと思い、劉備が自己紹介をするとその男は兄は外出しているのだと答えます。
その男は孔明の弟の諸葛均だったのです。
二度訪ねても会えなかった劉備は孔明に当てて手紙を書き残していくのでした。

やがて春が来ました。
曹操が丞相になったという報せを聞いた劉備はまた臥龍に会いに行くことを決意します。
関羽・張飛がなかなか会えない上に自分からは訪ねてこない孔明のことを批判すると、周の文王でさえ、太公望に会った時は彼の釣りが終わるまで後ろに立って日が暮れるまで待っていたのだと故事を持ち出してたしなめるのでした。

臥龍岡に着くと、諸葛均が今日は兄は昼寝をしている・・・と中へ通してくれました。
見ると背中を向けて寝ている男の姿が見えます。
いよいよ次回は孔明との対面です。

劉備が孔明を迎える為に三度臥龍岡へ足を運んでいます。
これを『三顧の礼』といいます。
賢人を迎えるためにはたとえ名声高い劉備でも三度も足を運んだのだ・・・という故事で今では何度も礼を尽くして頼むことをいうのだそうです。
賢人とはいえ当時の孔明は無名の若者、なのに牧(太守)であった劉備が礼を尽くしたというのは結構大変なことであったのかもしれません。

三顧の礼について誤った解釈を選びましょう。
■三個の礼 <(_ _)><(_ _)><(_ _)>
■三個の霊 ~~~(m-_-)mウラメシヤ-m(-_-)mウラメシヤ-m(-_-m)m~~~ウラメシヤ-

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[ 2005/12/13 00:26 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(5)

三国志47 徐母の死の巻 

曹操の元へ着いた徐庶は早速母親に会わせて欲しいと願い出ます。
ところがせっかくやってきた徐庶の顔を見た母親は、偽手紙に騙されて明君を捨てて暗君につくとは家名を汚したといって徐庶を激しくなじると奥に引っ込んでしまうのです。
しばらくすると奥から叫び声が聞こえました。
徐庶が入っていくと母親が首をつって自殺していたのです。
徐庶は嘆き悲しみ、それからしばらく母の墓のそばに小屋を建て喪に服して暮らしていましたが曹操からの供養の品は一切受け取らなかったといいます。

徐庶の母の死を予想していた人物がいました。
水鏡先生です。
劉備を訪れ、話を聞くと徐庶の母親はそんな手紙を書くような人物ではない、徐庶が騙されて曹操の元に行ったら怒りのあまり自害してしまうに違いない・・・と言ったので劉備達は初めてそこで事の次第に気付くのです。

劉備は徐庶が教えていった諸葛亮という人物について水鏡先生に聞きました。
すると水鏡先生は諸葛亮は周朝を興した姜子牙(太公望)か、漢朝の基礎を開いた張子房(張良)にも優るとも劣らない人物であるといいます。
それを聞いた劉備はますます諸葛亮なる人物が気になります。

ある日劉備は諸葛亮を訪ねるべく、隆中に向かいました。
すると農民が歌を歌っています。
その歌が気になった劉備はその歌を作ったのは誰かと聞くと農民は臥龍先生だと答えるのです。
臥龍先生とは伏竜のことにちがいありません。
臥龍先生の住居を聞くと、林の中の臥龍岡(がりょうこう)だと言われ、とうとう劉備は臥龍岡を訪ねるのです。

その頃、北中国を制圧した曹操は南征の為に玄武池という人口の湖を造り、軍船を浮かべて水軍の訓練を開始していました。
中国の南側は長江が流れており、水軍戦になるであろうことを考えてのことでした。

諸葛亮ははやくに母を亡くし、父親は再婚しています。
兄弟は兄(諸葛瑾)・姉・諸葛亮・弟(諸葛均)の四人とされています。(姉じゃなくて妹説もあり。)
やがて父も亡くなり、叔父のところへ引き取られます。
その後、長男の瑾は義母と一緒に呉へ、叔父の赴任先に亮と姉・弟がついていくのですが、政治の狭間で叔父も殺され、亮は姉と弟と隆中へきて農民として暮らすことになります。
学友のホウ統達は皆親の金で暮らしており、亮は勉強しながら自分で農業で生計を立てる身でした。
天才でも苦労はしているのですね。

その後学友の中でもめきめきと頭角を表し、自らを管仲・楽毅に比していたが周りでそれを信じるものは友人の崔州平や徐庶くらいであったといいます。
まぁきっと自信家であるあまり変わりものでもあったのですね。

■管仲  中国の春秋時代における斉の政治家桓公に仕え、桓公を覇者に押し上げた。
■楽毅  中国戦国時代の燕国の武将。燕の昭王を助けて、斉を滅亡寸前まで追い込んだ。

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[ 2005/12/11 23:33 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(2)

三国志46 徐庶との別れの巻 

その手紙を受け取った単福こと徐庶は、劉備に本当は自分は徐庶(字は元直)であること、老いた母親のために曹操の元に駆けつけたいことを申し出、徳の人である劉備は心ならずもそれを認めるのでした。

別れの時、劉備は徐庶を失うことが悲しくて泣いていました。
徐庶の出立の時も、見送りという名目でもう少しもう少しと曹操の元まで行くんじゃないかというくらいずっと付いていくのです。
そして徐庶がいなくなることがどんなに悲しいかと訴えてはまた泣くのでした。
徐庶はそんな劉備の心に感激し、曹操の元へ行っても一計たりとも献策しないと約束し、とうとう劉備の元を去っていきました。
劉備はその後ろ姿を見送り続け、木で徐庶の姿が見えなくなるとあの木々を切り取ってしまえ、とまで言ったといいます。

ところがしばらくするとその徐庶が戻ってくるではありませんか。
劉備は咄嗟に徐庶の気が変わって自分のところに戻ってきてくれたのかと思います。
しかし、徐庶は別れを悲しむあまり大事なことを言い忘れていたというのです。

徐庶は襄陽から20里程行った隆中というところに住んでいる賢者を訪ねろといいます。
劉備がそれなら徐庶が連れてきてくれというと、徐庶は彼は自分から来るような男ではない、かならず劉備が自分で行って訪ねるようにというのです。
その男の姓は諸葛、名は亮、字は孔明といい、その才は天下において右に出るものはいない、必ず劉備に役に立つはずだと薦めます。
劉備はふと、もしかしてその男は伏竜、鳳雛のどちらかではないかと聞くと徐庶は鳳雛とは襄陽のホウ統のことで、伏竜とはまさに孔明のことであるということを伝えると劉備の元を去っていくのでした。

やっと伏竜の正体が知れました。
徐庶と諸葛亮は同じ水鏡先生の門下生であったのですね。
(てか、知っていたならさっさと教えてくれ、徐庶・・・。)

徐庶は母親の手紙が偽の手紙であったことを気付いていた説もあります。
ただ、母親が曹操に人質としてとられていることには変わりなく、親孝行な徐庶は母親の為に曹操の元に向かったのでした。

やっと孔明の名前が出てきました。
彼こそアタシの大本命です。
(*/∇\*)キャー♪
次の選択を選んでください。
■これからは諸葛亮を応援する。
■これからは孔明を応援する。
■これからは諸葛孔明を応援する。
さあ、どれにしますか?(='m') フフ

第47話へ飛ぶ

[ 2005/12/10 23:22 ] 三国志41~50 | TB(0) | CM(6)
三国志


私がここで書いているものは三国志演義を元にした簡単なだいたいのストーリーであり、大幅に省略されています。
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